討匪行

討匪行


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 作詞の八木沼丈夫という人はアララギ派の歌人で関東軍の参謀部?に居た人だったようだ。香川末光氏の叙述に依れば次の通り。

・・・八木沼先生にお目にかかったのは翌年の昭和五年のことであったが、その峻厳なうちに無類の親しさを秘めておられる 人柄に魅了せられ、その後に受けた影響は今日でも生活の信条となっている。
 八木沼先生は、斉藤茂吉先生に学ぶことを「生くる日のよろこび」として徹底的に傾倒された人であった。満洲事変、 日中戦争を通じ、軍の要請によって宣撫の任務を統括指揮され、純粋な人間愛にもとづく烈しく妥協のない思想と行動に終始され、 昭和十五年、軍と意見を異にして要職を去られたが、その後も日中両国の青年指導に奔走され、昭和十九年十二月、 その心身を燃焼し尽されて四十九歳の若さで北京に客死された。・・・ (http://www.ishin.net/k031kagawa.html)

 以下には15番までの歌詞を掲げているが、一般には○で囲った@〜Fを歌ったらしい。それで、ここでのメロディーは それに合わせているので注意されたい。なお、各番とも最後の章句を繰り返し歌う。


討匪行

作詞 八木沼丈夫 
作曲 藤原 義江 
唄  藤原 義江 
一、@
どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ 
三日二夜を食もなく 
雨降りしぶく鉄兜(かぶと)(※最後のみ繰り返し。以下同じ) 

三、 
蹄(ひづめ)の跡に乱れ咲く 
秋草の花雫(しずく)して 
虫が音細き日暮れ空 

五、C 
さもあらばあれ日の本の 
我はつわものかねてより 
草生(む)す屍(かばね)悔ゆるなし 

七、 
通信筒よ乾パンよ 
声も詰まりて仰ぐ眼に 
溢るるものは涙のみ 

九、 
露冷えまさる草原に 
朝立つ鳥も慌し 
賊が油断ぞひしと寄れ 

十一、 
山こだまする砲(つつ)の音 
忽(たちま)ち響く鬨(とき)の声 
野の辺(へ)の草を紅(あけ)に染む 

十三、 
仰ぐ御稜威(みいつ)の旗の下 
幾山越えて今日の日に 
会う喜びを語り草 

十五、F 
亜細亜に国す吾日本 
王師一度(ひとたび)ゆくところ 
満蒙の闇晴れ渡る 
二、A 
嘶(いなな)く声も絶えはてて 
倒れし馬のたてがみを 
形見と今は別れ来ぬ 

四、B 
既に煙草はなくなりぬ 
頼むマッチも濡れはてぬ 
飢え迫る夜の寒さかな 

六、 D
ああ東(ひんがし)の空遠く 
雨雲揺りて轟(とどろ)くは 
我が友軍の飛行機ぞ 

八、 
今日山峡(やまかい)の朝ぼらけ 
細くかすけく立つ煙 
賊馬は草を食(は)むが見ゆ 

十、 
面(おも)かがやかしつわものが 
賊殲滅の一念に 
焔と燃えて迫る見よ 

十二、 
賊馬もろとも倒れ伏し 
焔は上がる山の家 
さし照れる日のうららけさ 

十四、E 
敵*にはあれど遺骸(なきがら)に 
花を手向(たむ)けて懇(ねんご)ろに 
興安嶺よいざさらば 




*……「賊」とするものもある。  
1932年(昭和7年)