天長節の歌
作詞 黒川真頼 作曲 奥 好義 今日のよき日は大君(おおきみ)の 生まれたまいしよき日なり きょうのよき日は御光(みひかり)の さし出たまいしよき日なり 光あまねき君が代を 祝えもろびともろともに 恵みあまねき君が代を 祝えもろびともろともに
1893年(明治26年)
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天皇の誕生日は「天長節」として祝われることになり、明治6年に天長節が決められたときには、既に新暦(太陽暦)が施行されていたので、誕生日を新暦に換算した11月3日が天長節となった(明治6年太政官布告344号)。明治26年には天長節の歌が作られて、学校の式典で歌うように指導された。この歌は昭和20年まで使われた。
天長節は、明治年間は11月3日、大正年間には10月31日(大正天皇の実際の誕生日は8月31日だったが、夏休みを避けて変更)になり、昭和になってからは4月29日であった。その後に「天皇誕生日」に呼び名が変り、現在の平成になってからは12月23日が天皇誕生日であることは周知の通りである。 これらの祝日のほか、女学校などは「地久節」も祝っていた。これは「天長節」に対して制定された皇后の誕生日で、明治天皇の皇后一条美子は嘉永3年4月17日生まれだから新暦換算して5月28日とし、大正天皇の皇后九条節子の6月25日(明治17)、昭和天皇の皇后久邇宮良子女王の3月6日(明治36)をお祝いしていた。 なお、戦時中、戦前は、四方拝(1月元日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)を「四大節」と称し、学校で式典があり、紅白のお饅頭をもらい、授業は休みであった。 |
(蛇足)『小学唱歌 第一巻』(明治25年(1892年)3月14日)には、伊沢修二の作詞作曲になる「天長節」という歌が掲載されている。歌詞は次の通り。
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一、 けふは十一月三日の朝よ 朝日にかゞやく日のまるの こくきはかどなみヒーラヒラ 國旗は門なみヒーラヒラ 二、 今は十一月三日のひるよ をかでも海でもいさましく うち出す祝砲ドンドンドン 打出すしゆく砲ドンドンドン |
三、 我等子供は一緒につどひ 小学校(幼稚園)にてうたひませう うたへやはやせやヨイヨイヨイ 歌へやはやせやヨイヨイヨイ 四、 今日の祝はどういふいはひ 帝のお生れあそばした その日のいはひぞヤヨヤヨヤ 天長節ぞヤヨヤヨヤ |
なお、メロディなどにも関心がある方は、次を参照されたい。【d-score(http://www.d-score.com/ar/A04112413.html)】
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