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鈴懸の径
作詞  佐伯孝夫
作曲 灰田有紀彦
唄   灰田勝彦
  友と語らん
  鈴懸(スズカケ)の径(ミチ)
  通いなれたる
  学校(マナビヤ)の街

  やさしの小鈴
  葉かげに鳴れば
  夢はかえるよ
  鈴懸の径
	(演奏)




  やさしの小鈴
  葉かげに鳴れば
  夢はかえるよ
  鈴懸の径
1942年(昭和17年)


 鈴懸とはとはプラタナスのこと。灰田兄弟の母校、立教大学の中には「鈴懸の径」という歌碑があり、歌碑の側面には「鈴懸の径」の歌詞が刻まれ、この立教大学の並木通りをイメージして、「鈴懸の径」を作ったということが書かれている。通りの両側には、プラタナスの並木が続いている。

 「鈴懸の径」の歌碑の除幕式が行われたのは昭和57年11月3日だが、灰田勝彦はそれへの出席を心待ちにしていた矢先の10月26日、71歳で世を去った。 除幕式には灰田に代わり、母校の先輩で灰田とは約半世紀に及ぶ親交があった兄貴分の歌手ディック・ミネが音楽番組の収録を中途で抜けて駆けつけ、有紀彦や君子未亡人らとともに式に出席。号泣しながら「鈴懸の径」を唄いその死を悼んだという。