作詞 東条寿三郎 作曲 渡久地政信 唄 津村 謙 |
1 船を見つめていた ハマのキャバレーにいた 風の噂はリル 上海帰りのリル リル あまい切ない 思い出だけを 胸にたぐって 探して歩く リル リル どこにいるのかリル 誰かリルを 知らないか 2 黒いドレスを見た 泣いていたのを見た 戻れこの手にリル 上海帰りのリル リル 夢の四馬路(スマロ)の 霧降る中で なにもいわずに 別れた瞳 リル リル 一人さまようリル 誰かリルを 知らないか |
3 海を渡ってきた ひとりぼっちできた のぞみ捨てるなリル 上海帰りのリル リル くらい運命(さだめ)は 二人で分けて 共に暮らそう 昔のままで リル リル 今日も逢えないリル 誰かリルを 知らないか |
1951年(昭和26年) |
昭和26年。渡久地政信が歌手から作曲家に転じて放った第1作で、大ヒットとなった。歌った津村謙は一躍大スターとなり、「ビロードの声」と讃えられた。日本の敗戦とともに、大陸や南方各地に散っていた多数の日本人たちが引き揚げてき、その混乱のなかでさまざまな生き別れや死に別れがあった。この歌は、そんな社会情勢を背景として作られたものである。四馬路は上海にあった歓楽街。
上海リルという名前は、室戸台風があった昭和9年に公開されたワーナー映画『フットライト・パレード』の主題歌『上海リル』から採られたようである。『上海リル』はW・ワーレン作曲・服部龍太郎訳詞で、昭和9年に歌川幸子、同10年にディック・ミネが歌っている。 http://homepage2.nifty.com/duarbo/versoj/v-sengokayou/shanhairiru.htm 作曲家の渡久地政信(とくち・まさのぶ)
は沖縄県恩納村生まれ。日大卒業後、1943年、「貴島正一」の名前で歌手デビューしたが、戦後になって作曲家に転向。1951年に津村謙が歌った「上海帰りのリル」が大ヒットし、1954年には「お富さん」で春日八郎を一躍スターにした。
戦後、外地から数多くの人が日本へ引揚げて来たが、戻ってきたものの母国の日本自体が空襲による戦災で廃墟と化し、頼るべき縁者を捜すすべもなく、また引き上げて来るであろう縁者を待つ内地の人々にとっても、消息を知ることは極めて困難な状況であった。そんな中で人々が食い入るように耳を傾けた番組がNHKの「尋ね人」というラジオ番組であり、「○○さんが牡丹江で生き別れになった弟さんを探していらっしゃいます」 とか 「チチハルではぐれてしまった妹さんを探しておられます」となどの言葉を切ない思いで聞いていた記憶が私にもあるが、その放送の前に流されていたのがこの「上海帰りのリル」の歌だったようだ。 更に蛇足を加えれば、この曲が発表された翌年の1952年(昭和27年)には、新東宝から同名の映画が次のスタッフで制作された。 監督 島耕二、 脚本 椎名文 島耕二、 原作 藤田澄子、 撮影 三村明、 出演 水島道太郎、香川京子、森繁久弥、浜田百合子、津村謙 |