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船頭小唄
作詞 野口雨情
作曲 中山晋平
1.己(おれ)は河原の 枯れ芒(すすき)
  同じお前も かれ芒
  どうせ二人は この世では
  花の咲かない 枯れ芒

2.死ぬも生きるも ねえお前
  水の流れに 何変(かわ)ろ
  己もお前も 利根川の
  船の船頭で 暮らそうよ
3.枯れた真菰(まこも)に 照らしてる
  潮来(いたこ)出島(でじま)の お月さん
  わたしゃこれから 利根川の
  船の船頭で 暮らすのよ

4.なぜに冷たい 吹く風が
  枯れた芒の 二人ゆえ
  熱(あつ)い涙の 出た時は
  汲んでお呉れよ お月さん
1921年(大正10年)


 民謡「枯れすすき」として発表され、その後、中山晋平がメロディをつけて「船頭小唄」となった。「カチューシャの唄」(同じ晋平の作曲)などと並ぶ、日本大衆音楽史における画期となる作品である。
「船頭小唄」の前提となるのは、日本の在野の知識人が「子ども」なるものと向き合った童謡運動であり、同じく日本の「風土」「民衆」と向き合うことでつむぎ出された民謡(の作り変え)である。これらの作家活動の中からは、北原白秋や野口雨情ほか数多くの才人たちが、たくさんの名曲を残し、官主導の唱歌と共に日本人の音楽的な感性を大きく変えることになった。
 この流れから生まれ、のちの(昭和時代以降の)演歌などがかもし出すメランコリズムの基本を提示したのが「船頭小唄」だった。発表ののち、歌はまたたくまに全国へ広がったが、単に人々に愛唱されただけでなく、せまり来る戦争の季節を暗示していたとも言われ、また関東大震災(大正12年)を予言した歌だとも言われたほどに大きな説得力を持っていた。
 雨情の詞は、多賀郡磯原村(現・北茨城市)に生まれた彼にとっても馴染みのある利根川を舞台にしている。その枯れはてた情景は、不遇の時代を経験した雨情の心の反映である、とも言われているが、それだけではない。ちなみに歌の後半に織り込まれている「 潮来出島 ( いたこでじま )」とは、潮来の町の南に広がるデルタ地帯のことで、この地域ならではの水郷(水路)とあやめの花と、船頭という風物詩は、江戸時代から長唄の「藤娘」や端唄などでよく使われていた。つまり「潮来出島」(潮来節)という、江戸の花町で洗練された色恋の歌がそれだが、このイメージを雨情は「船頭小唄」でまっこうから払拭しようとしているのである。こんなところにも、作家としての彼の姿勢が見えるようである。
 なお歌詞に出てくる「 眞菰 ( まこも )」とは、湿地帯に生えるイネの仲間で、しめ縄やむしろなどを編むのにも用いられる多年草である。《d-score楽譜「船頭小唄」(http://www.d-score.com/ar/A03042301.html)による》