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酒は涙か溜息か

作詞 高橋掬太郎
作曲 古賀 政男
唄  藤山 一郎
1.酒は涙か 溜息か 
	心の憂さの 捨て所

2.遠い縁(えにし)の かの人に
	夜毎の夢の 切なさよ

3.酒は涙か溜息か
	悲しい恋の 捨て所
1931年(昭和6年)

 今は亡き藤山一郎が歌った「酒は涙か溜息か」といえば、 古賀メロディーの原点であることは歌謡曲ファンの常識であろう。
 この歌は、昭和6年、高橋掬太郎が作詞して、 新進気鋭の作曲家・古賀政男が曲を付け、当時、東京音楽学校 (現・東京芸大)の学生であった増永丈夫こと藤山一郎が吹き込み、 大ヒットを記録した名曲である。 およそ2万枚が売れたといわれるが、 昭和6年当時、満洲、朝鮮、台湾まで含めても、蓄音器の数が1万台に 満たない頃であるから、如何に凄いヒットかが判る。
これ程までにヒットを放つと、それを模倣する者が現れた。 オーゴン合資会社というレコード会社が「夢は涙か思い出か」いう名の レコードを発売した。 曲の類似性はさることながら、詞の方も「酒は涙か溜息か」の一番が 「酒は涙か溜息か こゝろのうさの捨てどころ」であるのに対し、 「夢は涙か想い出か」では「夢は涙か想い出か こゝろの人の歌ごころ」。 三番では前者が「酒は涙か溜息か かなしい恋の捨てどころ」であるのに対し、 後者は、「夢は涙か想い出か かなしい人の歌ごころ」 とフレーズともに酷似している。
 そこで、古賀政男は、偽作レコードの製造、販売頒布の禁止と 著作権侵害の損害賠償として金250円也及び人格的利益侵害の慰謝料として 金100円也の請求訴訟を東京地裁に起こした。 本件では、原告側の「酒は涙か溜息か」と被告側の 「夢は涙か思い出か」の曲の異同が争われ、作曲家・中山晋平が 鑑定した結果、 原告の請求は人格的権利の侵害に対する慰謝料請求だけ棄却され、 他は全面的に認められた。
なお、「夢は涙か思い出か」とは、 別に「酒は涙よ溜息よ」(歌・黒田進<楠木繁夫>、曲・服部良一) と云う曲がタイヘイから出ているが、曲が似ておらず、 訴訟の対象外にされた。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~yasu-78/kaizoku-yume.htm

 この歌の作詞者 高橋掬太郎(たかはしきくたろう)は、大正11年(1922年)函館日日新聞に入社し、社会部長兼学芸部長として活躍するかたわら、詩や小説、脚本などを手がけていたが、 昭和6年「酒は涙か溜息か・・・」の歌詞をコロムビアレコードに投稿して採用され、古賀政男が作曲、藤山一郎が歌って上述のような大ヒットとなった。
 昭和8年(1933年)、コロムビアレコード専属作詞家となり、後にキングレコードに移り、昭和45年(1970年)4月、69歳で他界するまでに約3千の作詩をしている。作品には「啼くな小鳩よ」「並木の雨」「ここに幸あり」「高原の宿」「雨に咲く花」など数々の作品がある。 函館で生まれた「酒は涙か溜息か・・・」を永く記念するため、高橋掬太郎碑が函館市内(温泉敷地内)に昭和36年(1961年)有志により建てられたが、平成10年(1998年)4月に現在の護国神社坂の場所に移設されたもので、碑文は掬太郎の直筆である。なお、次のサイトには、歌碑への地図も掲載されているので、参考にされたい。
http://hp17.e-notice.ne.jp/~kanchu/sp-oubo/newslope/takahashi.htm