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露営の歌
作詞:籔内喜一郎
作曲:古関  裕而
唄  霧島  昇
1.勝ってくるぞと勇ましく 
  誓って故郷(くに)を出たからは 
  手柄立てずに死なりょうか 
  進軍ラッパ聞くたびに 
  瞼(まぶた)に浮かぶ旗の波 

2.土も草木も火と燃える 
  果てなき曠野(こうや)踏み分けて 
  進む日の丸鉄兜 
  馬のたてがみなでながら 
  明日の命を誰か知る 

3.弾丸(たま)もタンクも銃剣も 
  しばし露営の草枕 
  夢に出てきた父上に 
  死んで還れと励まされ 
  覚めて睨(にら)むは敵の空 
4.思えば昨日の戦いに 
  朱(あけ)に染まってにっこりと 
  笑って死んだ戦友が 
  天皇陛下万歳と 
  残した声が忘らりょか 

5.戦争(いくさ)する身はかねてから 
  捨てる覚悟でいるものを 
  鳴いてくれるな草の虫 
  東洋平和のためならば 
  なんの命が惜しかろう 






東京日日・大阪毎日新聞懸賞入選歌
1937年(昭和12年)10月


 昭和12年(1937年)、日中戦争が勃発した。東京日日新聞と大阪毎日新聞に題号が分かれていた毎日新聞が戦意高揚のためこれにあわせて「進軍の歌」の歌詞を公募し、傑作に入選した薮内喜一郎の歌詞を北原白秋や菊池寛らが「露営の歌」と題し、古関裕而が作曲を手がけた。
 古関は満州を旅行の帰途下関から東京への特急列車の車中で新聞に発表された歌詞を見て心を動かされ、依頼されていないにもかかわらず作曲していた。東京に着いた古関に日本コロムビアの社員が作曲を依頼した時には「それならもうできていますよ」と楽譜を差し出したという。
 「露営の歌」はB面であったにもかかわらずA面の『進軍の歌』をしのぐ人気を得て、当時としては異例の60万枚以上のレコードを売り上げ、当時の有名な歌謡曲の一つとなった。
 なお、作詞者の籔内喜一郎は当時、京都市役所に勤めていたとのこと。