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湖畔の宿

作詞 佐藤惣之助
作曲 服部 良一
唄  高峰三枝子
1.山の淋しい 湖に
  ひとり来たのも 悲しい心
  胸のいたみに 堪えかねて
  昨日の夢と 焚き捨てる
  古い手紙の うす煙

2.水に黄昏 迫る頃
  岸の林を 静かに行けば
  雲は流れて 紫の
  薄きスミレに ほろほろと
  いつか涙の 陽が落ちる



   「ああ、あの山の姿も、湖水の水も、
	静かに静かに 黄昏て行く。
	この淋しさを抱きしめて、私はひとり旅を行く。
	誰も恨まず、みんな昨日の夢とあきらめて、
	幼児のような清らかな心を持ちたい。
	そして、そして、
	静かにこの美しい自然を眺めていると、
	只、ほろほろと涙がこぼれてくる。」

3.ランプ引き寄せ ふるさとへ
  書いてまた消す 湖畔の便り
  旅の心の つれずれに
  ひとり占う トランプの
  青いクイーンの さびしさよ
1940年(昭和15年)

 昭和15年当時のわが国は、戦時色が漂い、ラジオからは戦意高揚をねらった軍国歌謡などがさかんに流されていた。そんな中発 表された「湖畔の宿」は、感傷的な歌詞やメロディーが戦時下にふさわしくないと、発売禁止になった。
 国内では発売禁止になったはずの「湖畔の宿」だったが、兵隊 たちは大っぴらに歌い、ビルマのバー・モー長官が来日したおり、時の総理 東条英機に、この歌をジカに聴 きたい、と所望した話は有名だ。三枝子は前線にいる兵隊の慰問のため、たびたび中国を訪れているが、前線慰問の際も兵士たちの リクエストが最も多かったのが、「湖畔の宿」だった。戦後も名曲として 歌い継がれている。
 この曲の中の湖はいったいどこなんだろう?諏訪湖、山中湖、芦ノ湖など、いろいろな説があった。

 そんな中、榛名湖畔で旅館「湖畔亭」を営む門倉博さんが、 かつての従業員から託された佐藤惣之助の手紙には「「湖畔の宿」は全く榛名湖のことであるが、あの中のことは全く夢だよ。」 とあった。 佐藤は釣りが好きで、全国を歩いているが、 榛名湖は先妻を亡くしたあと一緒になった萩原朔太郎の妹、 愛子さんの実家が前橋だった 関係でよく遊びにいっており、湖畔亭は常宿だったらしい。

これにより、「湖畔の宿」にうたわれた湖は、榛名湖のことだとわかり、 それを記念して、平成元年、榛名湖と榛名山を北東に一望できる場所に榛名「湖畔の 宿」記念公園がオープンした。公園には、記念モニュメント「乙女の像」、歌碑(碑の前に立つとセンサーが作動して「湖畔の宿」 のメロディーが流れる)、展望広場(フェンスのひもを引くと「湖畔の宿」のメロディーが楽しめる)やイベント広場がある。


(http://www.town.haruna.gunma.jp/welcome/yado.htmおよび 「湖畔亭」のホームページ http://www.kohantei.co.jp/による。)