作詞 高橋掬太郎 作曲 飯田 三郎 唄 三條 町子 |
1.夜の銀座は 七いろネオン 誰にあげよか 唇を かりそめの恋 ああ 虹の恋 ふと触れ合うた 指かなし 2.どうせ売られた 花嫁人形 胸で泣いても 笑い顔 かりそめの恋 ああ 虹の恋 まぼろしならぬ 君欲しいや |
3.金の格子の 鳥篭(トリカゴ)抜けて 飛ぶか心の 青空へ かりそめの恋 ああ 虹の恋 夜風よ吹くな やわ肌に |
1949年(昭和24年)
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飯田三郎(いいだ・さぶろう=作曲家)
03年4月24日、心筋こうそくのため死去、90歳。密葬は親族で済ませた。自宅は東京都港区元麻布2の10の5。 1912年12月20日北海道・根室生まれ。作曲は独学で、上京後に作曲を池内友次郎、指揮を山田一雄に師事。 作詞家の故高橋掬太郎氏との コンビで岡晴夫の「啼(な)くな小鳩(こばと)よ」や大津美子さんが歌った「ここに幸あり」など 数々のヒット曲を作曲した。「若い日本」で総理大臣賞を受賞。クラシック分野の作品には、「バリ島」組曲、 幻想曲「沖縄諸島風物詩」、交響的ルンバ「南の誘惑」、ピアノと管弦楽のための「スレンドロとべロック」、 オラトリオ「えぞキリシタンの殉教」、「北国讃歌」などがある。 (http://www.nikkansports.com/ns/general/personal/2003/pe-030424.html およびhttp://homepage.mac.com/teruwan/news/news030505.htmlによる) 三条町子(1925- ) 八戸出身。作曲家大村能章の弟子。昭和23年にデビュー。24年「かりそめの恋」がヒットする。大津美子の「ここに幸あり」は 本来、三条の吹き込みで予定されていたが、出産のためパスしたもの。 (http://www.geocities.co.jp/Bookend/1100/music/singer1/b03.html) 1952年、「第2回NHK紅白歌合戦」に「かりそめの恋」で初出場。 次の映画との関連については確認できなかった。 1948年(昭和23年)松竹制作「かりそめの恋」 -------------------------------------------------------------- 企画 ................ 小倉浩一郎 監督 ................ 井上金太郎 脚本 ................ 斎藤良輔 柳川真一 長瀬喜伴 音楽 ................ 大沢寿人 出演 ................ 月丘夢路 高田浩吉 藤井貢 楠かほる 笠智衆 -------------------------------------------------------------- |