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アイ・ジョージ(1933- )
 香港出身で長野の飯田育ち。本名は石松譲二。日本人の父、フィリピン人の母の間に育ち、20もの職業を転々とする。昭和36年にレコードデビュー。同年に「硝子のジョニー」でレコード大賞歌唱賞受賞、40年に「赤いグラス」などでヒットを飛ばし、紅白歌合戦の常連となった。37年には数奇な半生が東映で映画化された(太陽の子 アイ・ジョージ物語)。歌謡曲というよりもラテンを得意分野とし、日本人初のカーネギーホールでのコンサートも実現させる。過去にカーネギーホールでコンサートを行った日本人歌手は、アイ・ジョージを皮切りに、ダーク・ダックス、加藤登紀子、高橋真梨子と数えるほどしかいない。38年には大阪労音のコンサートで「戦友」を熱唱。非戦の意味合いを込めたアイ・ジョージの意向とは裏腹に、これが戦後の軍歌リバイバルブームの先駆を成した。

硝子のジョニー

作詞   石浜 恒夫
作曲 アイ・ジョージ
唄  アイ・ジョージ
1 黒い面影 夜霧に濡れて
  ギターも泣いている ジョニーよどこに
  いつかは消えてゆく 恋の夢よ

2 赤い花束 なみだにうるむ
  何故か帰らぬ ジョニーよどこに
  いつまた逢える日 淡い夢よ
3 黒い太陽 まぶたに消えて
  空しいグラスよ ジョニーよどこに
  かたらんいついつ 恋の夢よ 




1961年(昭和36年)