作詞 藤浦 洸 作曲 服部 良一 唄 霧島 昇 ミス・コロンビア |
1.(女) 一杯のコーヒーから 夢の花咲く こともある 街のテラスの 夕暮に 二人の胸の 灯(ともしび)が ちらりほらりと つきました 2.(男) 一杯のコーヒーから モカの姫君 ジャワ娘 歌は南の セレナーデ あなたと二人 朗らかに 肩を並べて 歌いましょう | 3.(女) 一杯のコーヒーから 夢はほのかに かおります 赤い模様の アラベスク あそこの窓の カーテンが ゆらりゆらりと ゆれてます 4.(男) 一杯のコーヒーから 小鳥さえずる 春もくる 今宵ふたりの ほろにがさ 角砂糖二つ 入れましょうか 月の出ぬまに きえぬまに |
1939年(昭和14年) |
この歌を歌ったミス・コロンビアは小樽出身。青山学院を経て、東京音楽学校を卒業後、昭和8年、コロムビアから覆面歌手ミス・コロムビアの名でデビュー。同年「十九の春」、9年「並木の雨」とヒットを続けた。元々、流行歌の吹き込みには前向きでなかったそうだが、相次ぐヒットは彼女を不動のスター歌手の座に押し上げた。松竹映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」を昭和13年霧島昇とのデュエットで吹き込み、翌14年、霧島昇と結婚。 「一杯のコーヒーから」には、作曲者でビール党の服部良一の意向に背いて、作詞者でコーヒー党の藤浦洸が、当初の「一杯のビールから」のタイトルを勝手に変えてしまったという話があるそうだ。 おしどり夫婦として知られた二人は公私にわたって仲睦まじく、結婚を機に本名の松原操に改名してからも一緒に歌手活動を続けたが、戦後まもなく、「三百六十五夜」を最後に引退した。育児への専念のために、その後は二度とステージに戻る事はなかった。霧島の四十九日の一週間後に、後を追うようにして他界した。 |