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戦友の遺骨を抱いて

作詞 逵原 実
作曲 松井孝造
唄  酒井 弘
1.一番乗りを やるんだと
  力んで死んだ 戦友の
  遺骨を抱いて 今入る
  シンガポールの 街の朝

2 男だなんで 泣くものか
  噛んでこらえた 感激も
  山から起こる 万歳に
  思わず頬が 濡れてくる

3 負けず嫌いの 戦友の
  形見の旗を 取り出して
  汗によごれた 寄書を
  山の頂上に 立ててやる
4 戦友(とも)よ見てくれ あの凪いだ
  マラッカ海の 十字星
  夜を日に継いだ 進撃に
  君と眺めた あの星を

5 シンガポールは 陥しても
  まだ進撃は これからだ
  遺骨を抱いて 俺は行く
  守ってくれよ 戦友よ




 
1942年(昭和17年)


 この歌が歌われるようになった経緯は、宮 操子著「陸軍省派遣極秘従軍舞踊団 」(創栄出版梶A平成07年08月30日発行) の【第三章 イギリス人捕虜】の二、『兵士たちの心の叫びに涙しながら舞った 「戦友の遺骨を抱いて」』に詳しい。
(次のサイトが参考になります。http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19440503amagi/2515amagi-senyuuno.htm およびhttp://www.mmjp.or.jp/jst/index/jst15900.htm)
 
 作詞の逵原(つじはら)実氏は伊勢・多気の人。字治山田中学を卒業、近衛歩兵歩一連隊に入隊。逵原氏の部下の寺崎一等兵は、 戦場の兵達の心のなぐさみに 作曲をしたいので、入隊前から詩を作っていた上官であった逵原軍曹に、軍歌の作詞をしてほしいと常々頼んでいたがなかなか 軍歌の歌詞ができないままに、シンガポール陥落前に寺崎一等兵は 戦死してしまう。逵原軍曹はシンガポール陥落後に、戦死した部下への思いを託して「戦友の遺骨を抱いて」を作詞したのであった。
(http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/wakamono_e.htmによる。)
 昭和17年2月24日付けの現地のガリ版刷りの「建設戦」第3号(軍宣撫班編集・発行)に、逵原(つじはら)実氏が寄稿した 歌詞が掲載された。
(その写真は、次のサイトにあります。http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/tsujihara.htm)
 この詩に南遣艦隊所属の海軍軍楽隊の松井孝造が曲を付け、山下中将以下陸海軍の将兵の前で発表された。 レコードはコロムビア・テイチク・ビクター・ポリドールの4社が発売した。
『【君はアニメンタリー「決断」を知っているか】(http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/index.html)の「BGM解説」から』