作詞 清水みのる 作曲 利根 一郎 唄 菊池 章子 |
1 星の流れに 身を占って 何処をねぐらの 今日の宿 荒(すさ)む心で いるのじゃないが 泣けて涙も 涸れ果てた こんな女に誰がした 2 煙草ふかして 口笛吹いて 当もない夜の さすらいに 人は見返る わが身は細る 街の灯影の 侘びしさよ こんな女に誰がした |
3 飢えて今頃 妹はどこに 一目逢いたい お母さん 唇紅(ルージュ)哀しや 唇かめば 闇の夜風も 泣いて吹く こんな女に誰がした |
1947年(昭和22年)
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暗いガード下で生活のために売春せざるを得なかったパンパンガール、一名ヤミの女。その悲しみを歌った「星の流れに」(47年)は、敗戦日本の現実と真正面から取り組んだ異色の歌謡曲であった。 この「星の流れに」は46年8月29日の『東京日々新聞』(今の毎日)にのった投書を読んで、清水みのるが怒りにふるえながら夜を徹して詩をかきあげたものだという。その投書には二十二歳になる引揚げ女性の転落の過程が書かれてあった。新進の作曲家だった利根一郎も同じ怒りを燃やしながら作曲し、テイチクの新人歌手・菊池章子の絶唱によって吹き込まれた。 レコードは最初売れなかったというが、まずこの歌はヤミの女たちに口ずさまれ、次第に知られていくようになった。それだけリアルな内容と情感があったのである。この”社会への抗議”が、いわゆる芸術音楽の分野にはなくて、低俗・通俗と非難された歌謡曲の分野からこの時期に生まれたということに注目したい。(新版日本流行歌史-中より 社会思想社) (注1)昭和21年テイチクと契約した淡谷のり子に昭和22年、「星の流れに」をレコーディングする話が来たが、のり子は「こんな女に誰がした」という歌詞が気に入らないと断ってしまった。(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/1714/kax0.html、http://www.geocities.co.jp/Bookend/1100/music/singer2/a01.htmlほか。) (注2)松竹映画「こんな女に誰がした」の主題歌ともなったが、映画の制作は1949年で、この歌が発表された2年後である。 利根 一郎 (群馬県明和町出身。大正7年(1918)4月15日〜平成3年(1991)12月16日 没(享年74歳)) 作曲家。本名 恩田良武。早稲田大学政経学部中退。'42ポリドール入社。'44東芝、'45テイチク、'49キングを経て、'50ビクター専属となる。49年間で一千二百余曲を作曲する。「星の流れに」「星影の小径」「ガード下の靴みがき」「若いおまわりさん」などを作曲し、「霧氷」にて昭和41年度日本レコード大賞を受く。(墓誌より http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tone_i.html) (以上、いずれも http://wwwamy.hi-ho.ne.jp/k-komatsu/tone.htm による。) |