作詞 加藤 明勝 (中央幼年十期生) 作曲 栗林 宇一 |
一、 万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵線の花と散れ 二、 尺余の銃(つつ)は武器ならず 寸余の剣(つるぎ)何かせん 知らずやここに二千年 鍛えきたえし大和魂(やまとだま) 三、 軍旗まもる武士(もののふ)は すべてその数二十万 八十余ヶ所にたむろして 武装は解かじ夢にだも 四、 千里東西波越えて 我に仇なす国あらば 港を出でん輸送船 暫(しば)し守れや海の人 五、 敵地に一歩我踏めば 軍の主兵はここにあり 最後の決は我が任務 騎兵砲兵共同せよ |
六、 アルプス山を踏破せし 歴史は古く雪白し 奉天戦の活動は 日本歩兵の粋と知れ 七、 携帯口糧(けいたいこうりょう)あるならば 遠く離れて三日四日 曠野千里にわたるとも 散兵戦に秩序あり 八、 退(しりぞ)く戦術(ことわ)われ知らず みよや歩兵の操典を 前進前進また前進 肉弾とどく所まで 九、 わが一軍の勝敗は 突喊(とっかん)最後の数分時 歩兵の威力はここなるぞ 花散れ勇め時は今 十、 ああ勇ましの我が兵科 会心(えしん)の友よ来たれいざ ともに語らん百日祭 酒盃に襟の色うつし 十、(一般兵営におけるもの) 歩兵の本領ここにあり ああ勇ましの我が兵科 会心(えしん)の友よ来たれいざ ともに励まんわが任務 |
1911年(明治四十四年 )
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「アムール河の流血」を元歌として、明治四十四年中央幼年学校「百日祭」で「歩兵の本領」が発表された。
(http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/hoheino.html) 従って10番は、一般に歌われた歌では本ページの末尾に掲げている通り、「百日祭」用とは別の 歌詞となっている。
なお、「アムール河の流血」とは、明治三十三年六月、ロシア軍が黒竜江(アムール河)に二万五千人の清国人を投じて虐殺した事件を題材に、明治34年2月、柴田 環作詞により一高東寮寮歌として発表された。作曲については永井建子との説もあるが、遺族同士の話し合いの結果、栗林宇一作曲と判明した(昭和51年5月1日読売新聞より)。 (http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/amuru.html) |