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こんにちは赤ちゃん

作詞 永  六輔
作曲 中村 八大
唄   梓 みちよ
こんにちは 赤ちゃん あなたの笑顔
こんにちは 赤ちゃん あなたの泣き声
その小さな手 つぶらな瞳
はじめまして わたしがママよ

こんにちは 赤ちゃん あなたの生命(いのち)
こんにちは 赤ちゃん あなたの未来に
この幸福(しあわせ)が パパの希望(のぞみ)よ
はじめまして わたしがママよ
ふたりだけの 愛のしるし
すこやかに美しく 育てといのる

こんにちは 赤ちゃん お願いがあるの
こんにちは 赤ちゃん ときどきはパパと
ホラ ふたりだけの 静かな夜を
つくってほしいの おやすみなさい
おねがい赤ちゃん
おやすみ赤ちゃん わたしがママよ
1963年(昭和38年)

 「こんにちは赤ちゃん」のリリースは63年10月。にもかかわらず、この曲は、その年の大晦日、「日本レコード大賞」に輝く。これは、とりもなおさず、この曲が前例のないほど短期間に爆発的にヒットし、リスナーに大きな感銘を与えたことを物語る。こんなことになるとは、事務所もレコード会社も、夢にも思っていなかったであろう。
 この曲は、赤ちゃんが生まれた喜びと、幸福感に満ちあふれている。何の邪心もない、ひたすら純粋な、喜びと幸せを赤ちゃんに語りかけている。そして、赤ちゃんからみれば、そのこと自体が喜びであり、幸せなのである。もちろん、赤ちゃんには、そんなことはわからない。けれども、この曲は赤ちゃんが大きくなった時に、それを教えてくれているのではなかろうか。「ぼくは、何のために生きているのか、よくわからない。けれども、ぼくが生まれてきたことを両親がこんなに喜んでくれたのならば、それだけで、自分は生まれてきた甲斐があったのではないか。」と。
 中村八大に長男が誕生したとき、永六輔が誕生祝いとして彼に詩を贈り、そして、八大自身がわずか三時間でその詩にメロディをつけた。それが「こんにちは赤ちゃん」の原型だというのは、よく知られたエピソードである。二人の弾む気持ちが一つの曲として具現化され、梓みちよがそれを高らかに歌い上げた「こんにちは赤ちゃん」は、おそらくは、時代に左右されず、普遍的に愛されてしかるべき作品であろう。

 蛇足ながら、この歌がヒットした1963年頃は高度成長の時代、女性が生涯に産む子どもの数である合計特殊出生率は2前後で安定していた。しかし、70年代半ばから状況はがらりと変わり、出生率は2を割り、わずか30年間で世界有数の少子化社会になったことは周知の通りである。《平成15年の合計特殊出生率は1.29、なお、これを下回る国はイタリア(1.24−−2000年)のみである。また都道府県別では、最低が東京都(1.00)、最高は沖縄県(1.72)で各都道府県とも逐年低下傾向にある。いずれも2003年(平成15年)》