作詞 石本美由紀 作曲 江口 夜詩 唄 岡 晴夫 |
1.晴れた空 そよぐ風 港 出船の ドラの音(ね)愉(たの)し 別れテープを 笑顔で切れば 希望はてない 遥(はる)かな潮路 ああ 憧(あこが)れの ハワイ航路 2.波の背を バラ色に 染めて真赤な 夕陽が沈む 一人デッキで ウクレレ弾けば 歌もなつかし あのアロハオエ ああ 憧れの ハワイ航路 |
3.とこ夏の 黄金月(こがねづき) 夜のキャビンの 小窓を照らす 夢も通うよ あのホノルルの 椰子(やし)の並木路(なみきじ) ホワイトホテル ああ 憧れの ハワイ航路 |
1948年(昭和23年)
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「憧れのハワイ航路」が大ヒットし、1950年4月、次のようなスタッフで同名の映画も公開された。 監督 ................ 斎藤寅次郎 脚本 ................ 八住利雄 原作 ................ サトウハチロー 音楽 ................ 上原げんと 出演 ................ 岡晴夫 美空ひばり 柴田早苗 吉川満子 清川玉枝 花菱アチャコ キドシン 古川緑波 ( http://www.jmdb.ne.jp/1950/bz000570.htmによる。) 石本美由紀(いしもと・みゆき 1924年(大正13年)生、広島県大竹市出身、作詞家) 日本作詞家協会会長、日本音楽著作権協会理事長などをつとめた戦後作詞界の長老の 1人。 最初のヒット曲は「長崎のザボン売り」だが、もっとも愛着を抱いているのは、次に作った「憧れのハワイ航路」で、 作曲は江口夜詩。初め小畑実が歌う予定だったが、声の明るさを買われ、岡晴夫に回った。 ベテランがひしめくレコードの世界で、当たり前の作詞では目をひくことができない。石本は、当時夢のまた夢だった海外旅行を テーマに取り上げた。生まれ育った大竹市の丘の上から見た関西汽船・別府航路の船影。それをハワイに向かう船に見立てたのである。 64年(昭和39年)秋に発表されたレコードは、たちまち40万枚。現在なら軽くミリオンセラーを超える数字である。 まだまだ貧しかった日本人にとって、ハワイはあこがれの夢だったのだ。 ずっと後年になって、ハワイ旅行の念願をはたした石本は、船のデッキに立ち、近づく美しい島影を見て、つぶやいた。 「おお、ハワイとはこういう島であったか」 (http://www.hochi.co.jp/html/whatday/what/02/0203.htmによる) |