作詞 永井建子 作曲 永井建子 |
1 四百余洲(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃 なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 2 多々良(たたら)浜辺の戎夷(えみし) そは何蒙古勢 傲慢無礼者 倶(とも)に天を戴(いただ)かず いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕(かいな) ここぞ国のため 日本刀を試し見ん | 3 こころ筑紫(つくし)の海に 浪おし分けて往(ゆ)く ますら猛夫(たけお)の身 仇(あだ)を討ち還(かえ )らずば 死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂(だま)いさぎよし 4 天は怒りて海は 逆巻く大浪に 国に仇をなす 十万余の蒙古勢は 底の藻屑と消えて 残るは唯(ただ)三人 (みたり) いつしか雲はれて 玄界灘(げんかいなだ)月清し |
1891年(明治24年5月) |
文永11年に続き、弘安4年(1281)に九州北部に来襲した元軍を日本がよく防ぎ、いわゆる神風の助けによってこれを撃滅した故事を歌った作品。明治27・28年の日清戦争の折、戦意高揚のために盛んに歌われた。
【二木紘三のMIDI歌声喫茶(http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-senzenkayou/genkou.htm)による】 永井建子(ながい けんし)(1865−1940、軍楽家・作曲家。広島県生まれ。) 明治11年上京。 陸軍軍楽隊幼年軍楽生となり、明治13年首席で卒業。 同軍楽隊に勤めてルルーの指導を受け、明治27・28年の戦役には軍楽次長として、大山巌が司令官である第二軍の軍楽隊に属して従軍。明治36年、フランスその他に留学、帰国後、帝劇洋楽部部長などをつとめた。小柄な人で、動作敏捷、トボけた口調で洒脱な話をし、よく人を笑わせたという。 なお、「元寇」「雪の進軍」は本人の作詞作曲になるもの。 【二木紘二のMIDI歌声喫茶(http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-senzenkayou/genkou.htm)による】 |