作詞 佐藤惣之助 作曲 細川 潤一 唄 塩 まさる |
1. 戦い止んで 長城遥か 月は輝く 穂草はなびく 露営のランプも いつしか消えて 軍馬の寝息 もの幽(かす)か 2. 戦友(とも)も寝たか 草木も寝たか 歩哨ばかりの 静寂天地 思えば胸も いつしか迫り 大喝一声 吟ずるは |
※16小節だけリズムだけの部分があり、そこで吟詠のこと※ 霜満軍営 秋気清 (霜は軍営に満ちて 秋気清し) 数行過雁 月三更(数行の過雁 月三更(さんこう)) 越山併得 能洲景(越山あわせ得たり 能洲の景) 遮莫家郷 思遠征(さもあらばあれ 家郷の遠征を思う) 3.ああこの天地 この山上に 明日は屍を 晒(さら)そとままよ 魂魄(こんぱく)永く 武勲をとどめ 神州男児の 名を挙げむ |
1938年(昭和13年) |
参考までに解説を加えると、歌詞中の漢詩は「九月十三夜陣中作」と題する上杉謙信(1530−1578)の作で、謙信が天正五年九月十三日、七尾城を落とし、二日間兵を休ませた時に詠まれた詩である。詩意は≪見渡す限り真っ白な霜が、我が陣営いっぱいに満ちて、秋の気配がすがすがしい。幾列もの雁の群れが空を飛んで行き、真夜中の月が白々と照り映えている。越後、越中の山々に、手中にした能州を併せたこの光景はまことに素晴らしい。故郷では遠征のことを案じていることだろうが、ままよ、今夜はこの美しい十三夜の月を静かに賞でよう。≫ この詩を読むとき、謙信は戦国の武将以前に詩人のように思われる。
また、歌手の「塩 まさる」は明治41(1908)年、福島県出身。早稲田大学商学部卒業後、鉄道省(現、JR)に入り、千葉鉄道管理局に勤務のかたわら、音楽サークルを作って全国の駅で唄っていたのが注目を集め、昭和12(1937)年、キングレコードから二足のわらじを履きながらのデビュー。同年に発売された『軍国子守歌』(詩 山口義孝 曲 佐和輝禧)がヒットをして、鉄道省を退職後キングレコードと専属契約を結びプロデビューを果たす。東海林太郎、上原敏とともに脱サラ歌手として注目される。その後、昭和14(1939)年にテイチクに移籍。時代を反映した『九段の母』(詩 石松秋二 曲 能代八郎)が爆発的大ヒットをして、不動の地位を築くが終戦後引退。そのレパートリーのほとんどが、いわゆる軍国歌謡だったのが引退の原因の一つのような気がする。他に『月下の吟詠』『母子船頭唄』(1938 キングレコード 2曲とも 詩 佐藤惣之助 曲 細川潤一)のヒット曲がある。その後、昭和40年に歌謡界に復帰、一方、30年以上にわたり全国の老人福祉施設を巡回慰問するボランティア活動を続け、これらの功により、平成9年(1997年)「日本レコード大賞 功労賞」を受賞。 |