作詞 西條 八十 作曲 古賀 政男 唄 神楽坂はん子 |
1.あなたのリードで 島田もゆれる チーク・ダンスの なやましさ みだれる裾も はずかしうれし 芸者ワルツは 思いでワルツ 2.空には三日月 お座敷帰り 恋に重たい 舞い扇 逢わなきゃよかった 今夜のあなた これが苦労の はじめでしょうか |
3.あなたのお顔を 見たうれしさに 呑んだら酔ったわ 踊ったわ 今夜はせめて 介抱してね どうせ一緒にゃ くらせぬ身体 4.気強くあきらめ 帰した夜は 更けて涙の 通り雨 遠く泣いてる 新内流し 恋の辛さが 身にしみるのよ |
1952年(昭和27年)
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久保幸江の「トンコ節」に続く、お座敷ソングの代表曲。その悩ましいイメージからか、地方ではチークダンスの定番曲としても長く親しまれた。しばらくの間、放送禁止になっていたこともある。それにしても、確かに3拍子のリズムではあるが、優雅なワルツとはやや趣が違う。テネシー・ワルツのヒットにあやかったのか、日本調でありながら「ワルツ」というタイトルもミスマッチ感覚だし、しかし、忘れがたい不思議な曲である。
【昭和歌謡とわれらの世代−昭和27年(1952)の歌謡曲・流行歌・愛唱歌】(http://www.ringohouse.com/sesoufiles/1952/52kayou.htmlから) 神楽坂はん子 1931年3月24日生まれ。東京都出身。東京の下町育ちで、16歳で神楽坂の芸者になった。宴席で作曲家の万城目正、古賀政男らに才能を認められ、21歳で日本コロムビアに入社。「こんな私じゃなかったに」でデビューし、お座敷ソング・ブームの追い風で「ゲイシャ・ワルツ」が大ヒットした。過労から体調を崩し人気のピークにあった1955年に引退。8年後に復帰したものの、再び体を壊し芸能界から引退した。1995年6月肝臓がんのため死去。 (http://www.cdjournal.com/main/artist/artist.php?ano=106543による。) |