広瀬中佐
文部省唱歌 |
1.轟く砲音(つつおと)飛び来る弾丸(だんがん) 荒波洗うデッキの上に 闇を貫く中佐の叫び 「杉野は何処(いずこ)杉野は居ずや」 2.船内隈なく尋(たず)ぬる三度(みたび) 呼べど答えず探せど見えず 船は次第に波間に沈み 敵弾いよいよ辺りに繁(しげ)し |
3.今はとボートに移れる中佐 飛び来る弾丸(たま)に忽(たちま)ち失せて 旅順港外恨みぞ深き 軍神広瀬とその名残れど |
1912年(大正元年12月)
尋常小学校唱歌四
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明治37年(1904年)より始まった日露戦争において旅順港閉塞作戦に従事する。第2回の閉塞作戦においては閉塞船福井丸を指揮する。撤退時に行方不明となった部下杉野孫七上等兵曹(戦死後兵曹長に昇進)を助けるため船内を3度捜索中、ボート上で敵軍砲弾の直撃を受け戦死する、享年36。 広瀬は戦死の際に首を飛ばされ、流れ着いた胴体はロシア軍により埋葬された。戦死後中佐に昇進し、日本初の「軍神」となり、出身地の大分県竹田市には昭和に入ってから広瀬を祀る広瀬神社が創建された。また文部省唱歌の題材にもなる。 |