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道は六百八十里

作詞 石黒 行平
作曲 永井 建子
道は六百八十里 
長門の浦を船出して 
はや二(ふた)とせを故郷(ふるさと)の 
山を遙かに眺むれば 
曇り勝ちなる旅の空 
晴らさにゃならぬ日の本の 
御国の為と思いなば 
露より脆(もろ)き人の身は 





ここが命のすてどころ 
身にはたま傷つるぎ傷 
負えどもつけぬ赤十字 
猛き味方の勢いに 
敵の運命きわまりて 
脱ぎし兜(かぶと)を鉾(ほこ)の先 
刺してぞ帰る勝ちいくさ 
空の曇りも今日晴れて 

一際高き富士の山 
嶺(みね)の白雪消ゆるとも 
勲(いさお)を立てしますらおの 
ほまれは長く尽きざらん 
1891年(明治24年5月)

 作詞者が明治20年代に軍曹として陸軍教導団の教官をしていた頃の作(後に弁護士となる)。歌詞の「道は六百八十里」「長門の浦」が何の意味かは判然としない。前者は「口調で決めた」との作者の言が伝えられている。
【天翔艦隊(http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/tensyofleet.htm)による】

永井建子(ながい けんし)(1865−1940、軍楽家・作曲家。広島県生まれ。)
明治11年上京。 陸軍軍楽隊幼年軍楽生となり、明治13年首席で卒業。
同軍楽隊に勤めてルルーの指導を受け、明治27・28年の戦役には軍楽次長として、大山巌が司令官である第二軍の軍楽隊に属して従軍。明治36年、フランスその他に留学、帰国後、帝劇洋楽部部長などをつとめた。小柄な人で、動作敏捷、トボけた口調で洒脱な話をし、よく人を笑わせたという。 なお、「元寇」「雪の進軍」は本人の作詞作曲になるもの。
【二木紘二のMIDI歌声喫茶(http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-senzenkayou/genkou.htm)による】