竹久夢二(1884〜1934)は、数多くの叙情的な美人画とともに、約180篇の詩、約430首の短歌のほか、150あまりの小唄などを作っている。『宵待草』は大正2年(1913)に作った小唄で絵入り小唄集「どんたく」で発表、のちにバイオリニストの多忠亮(1895〜1930)により曲がつけられ、そのせつない恋をつづった詞と哀調を帯びた旋律は大正末期に大流行した。歌にするにあたって、詞が短すぎるというので、西条八十が2番を付け加えた。八十は、最初、2番の2行目を「宵待草の花が散る」としていたが、宵待草の花は、散らずに、茎についたまましおれるのが特徴。それを人に注意された八十は、のちに今のように詞を変えた。
高峰三枝子のほか、李香蘭、五十嵐喜芳、倍賞千恵子など、多くの歌手が歌っている。 (宵待草はアカバナ科のオオマツヨイグサのことで、この歌がはやるまでは待宵草というのが普通であった。北アメリカ原産の帰化植物で、夏、茎頂や葉腋に黄色い4弁の大きな花をつける。よくツキミソウとまちがって呼ばれるが、本来は別の種類である。) 【「MIDI歌声喫茶」(http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-folksong/yoimatigusa.htm)他による】 |
作詞 竹久 夢二 補作 西条 八十 作曲 多 忠亮 唄 高峰三枝子ほか |
1.待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ 今宵は月も 出ぬそうな |
2.暮れて川原に 星一つ 宵待草の 花の露 更けては風も 泣くそうな |
1918年(大正7年)
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