滝廉太郎は東京音楽学校卒業後、1901年6月ドイツに留学したが、胸を病み1902年10月帰国。故郷の大分で療養していたが
1903年25歳で没した。留学先の教授の記憶にも残っていたという程の逸材であったという。 肺結核であった為に、療養所でのほとんどの作品は焼かれてしまったそうだ。 【滝 蓮太郎の経歴などについては次のサイトが詳しい。「世界の歌」(http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/Mond.htm)】 |
作詞・作曲 滝 廉太郎 編曲 山田 耕作 光はいつも 変わらぬものを 殊更秋の 月の影は などか人に 物思わする などか人に 物思わする ああ 鳴く虫も 同じ心か ああ 鳴く虫も 同じ心か 声の哀しき
明治33年(1900年)
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