作詞 西条 八十 作曲 万城目 正 唄 美空ひばり |
1 笛にうかれて 逆立ちすれば 山が見えます ふるさとの わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし ながれながれの 越後獅子 2 今日も今日とて 親方さんに 芸がまずいと 叱られて 撥(ばち)でぶたれて 空見上げれば 泣いているよな 昼の月 |
3 打つや太鼓の 音さえ悲し 雁が啼く啼く 城下町 暮れて恋しい 宿屋の灯(あかり) 遠く眺めて ひと踊り 4 ところ変われど 変わらぬものは 人の情けの 袖時雨(そでしぐれ) ぬれて涙で おさらばさらば 花に消えゆく 旅の獅子 |
1951年(昭和26年)
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松竹映画『とんぼ返り道中』(昭和26年)の主題歌。この映画は、監督:斎藤寅次郎、脚本:八住利雄で、越後獅子の少年を美空ひばりが演じた。共演は、高田浩吉、宮城千賀子、川田晴久、堺駿二など。越後獅子の少年が、幼い頃に殺された親から、形見に金山のありかを記した地図を託されたことからさまざまな冒険が始まるという物語。
西条八十、万城目正、美空ひばりのコンビでは、『角兵衛獅子の唄』という歌も作られている。 「MIDI歌声喫茶」(http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-sengokayou/echigojishi.htm)による。 角兵衛獅子(かくべえじし) 「越後獅子」「蒲原獅子」ともいうが、江戸では多く「角兵衛獅子」の名で呼ばれた。新潟県西蒲原郡月潟村を本拠地とする子供による獅子舞曲芸で、各地をまわって門付し、その芸を見せた。江戸では宝暦頃から盛行し、幕末期を通じてよく親しまれたが、大道芸としては明治末頃に衰微した。昭和11年、保存会が作られ後継者の育成が行われるようになった。現在、月潟村では毎年6月24日の月潟祭と9月23日の村の観光キャンペーンの折に、小中学生により 舞が披露される。なお、この芸能風俗は長唄物の舞踊などにも取り入れられている。 『日本史広辞典』(山川出版社)および「新潟物知り辞典」(http://www.melma.com/mag/79/m00118379/)による。 なお、「角兵衛獅子の始まり」について、現地には以下に記載の言い伝えがあるという。 |
…………………………………………………………………………………………… ☆ 角兵衛獅子の始まりの言い伝え ☆ …………………………………………………………………………………………… 江戸時代、毎年のように洪水に襲われた月潟村では村民が飢えに喘いでいた。 これを見て、元水戸藩浪人の角兵衛が、子供達に芸を仕込んで、曲芸団として金を儲 け、生活のよすがとしたのが始まりで、まず自分の二人の子供に曲芸を教 え、それから村の子供達に伝授していったとされている。 村にとっては恩人の角兵衛が、ある夜誰かに殺されしまう。角兵衛は乱闘の末、 犯人の足の指をかみ切ったため、 角兵衛の二人の息子は足の指のない男を捜すために、各地で曲芸をするとき に足元を見ても不自然でない逆立ちをする事を考え出した。これが、角 兵衛獅子の芸の中に逆立ちが多用される理由だと言われている。 この「角兵衛」と言う人物が実際に存在したのかは不明だが、そのような話が残さ れている。 「新潟物知り辞典」(http://www.melma.com/mag/79/m00118379/)による。 |