作詞 イサコフスキー ISAKOVSKIJ MIKHAIL VASILEVICH 訳詞 関 鑑子 作曲 ブランテル BLANTER MATVEJ ISAAKOVICH |
1 りんごの花ほころび 川面にかすみたち 君なき里にも 春はしのびよりぬ 2 岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌 春風やさしくふき 夢がわくみ空よ | 3 カチューシャの歌声 はるかに丘をこえ 今なお君をたずねて やさしその歌声 4 りんごの花ほころび 川面にかすみたち 君なき里にも 春はしのびよりぬ |
1939年(昭和14年) |
第二次世界大戦が始まった1939年に発表された。ただし、詩はもっと前に作られたようである。カチューシャというのは、ロシアのごく一般的な女性名の1つで、第二次大戦中にナチス・ドイツを脅かしたロケット砲の愛称としても使われた。『二木紘二のMIDIうた物語(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/04/post_8118.html)による』
この歌の背景には実話があったという。 1941年11月、ソビエトの首都モスクワに迫ったナチスドイツ軍は近辺の町や村を侵略し放火略奪を繰り返していた。 これに対してモスクワを守るソ連軍は各地で惨敗し、首都モスクワまでわずかのところまでナチスドイツ軍は迫ってきた。 そこでモスクワを守る防衛隊として市民の中から兵を募り、そのなかにコムソモール(青年共産同盟)の遊撃隊(彼女たちは「カチューシャ」の暗号名で呼ばれていた)としてゾーヤ.コスモデミヤンスカヤという18歳の女性が志願していた。 彼女は第316狙撃師団(男女混成部隊)としてペトリシミベ村のナチスドイツ軍の倉庫を単独で襲撃し、放火してドイツ軍に捕まり、拷問を受けてから絞首刑になった。 しかしその彼女が絞首刑の壇上で死ぬ間際に、遠巻きで見守る村人たちに向かって「皆さん悲しまないで、死ぬのは平気、ソ連国民のためなら幸せよ!私は死ぬけど2億人の絞首刑にはできないわ!ああ同士よ、ナチスを撃ってスターリンとともに!」といって絶命したそうだ。 その後ソ連軍はナチスドイツの攻撃を撃破し、モスクワは危機をのりこえ反撃に転じたという。首都防衛を果たしたゾーヤたちのような女性青年兵を偲んで「カチューシャ」は作られた。 『うたごえ喫茶「のび」(http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/)による』 |