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ドナ・ドナ(Dona Dona)

Lyrics: Sheldon Secunda
         Teddy Schwartz
          Arthur Kevess
          Aaron Zeitlin
日本語詞:   安井かずみ
Music : Scholom Secunda
Song  :       Joan Baez
1.ある晴れた昼下がり 
  市場へつづく道
  荷馬車がゴトゴト 
  子牛を乗せていく

  何も知らない子牛さえ 
  売られてゆくのが分かるのだろうか

  ドナ ドナ ドナ ドーナ 
  悲しみをたたえ
  ドナ ドナ ドナ ドーナ 
  はかない命 


2.青い空 白い雲 
  明るく飛びかう
  ツバメよ それを見て 
  お前はなに思う

  もしもつばさが有るならば 
  楽しい牧場に帰れるものを

  ドナ ドナ ドナ ドーナ 
  悲しみをたたえ
  ドナ ドナ ドナ ドーナ 
  はかない命














1.On a wagon bound for market
  There's a calf with a mournful eye.
  High above him there's a swallow
  Winging swiftly through the sky.

  How the winds are laughing
  They laugh with all their might
  Laugh and laugh the whole day through
  And half the summer's night.
  Dona dona dona dona
  Dona dona dona don
  Dona dona dona dona
  Dona dona dona don

2."Stop complaining," said the farmer,
  "Who told you a calf to be"
  Why don't you have wings to fly away
  Like the swallow so proud and free?"

  How the winds are laughing
  They laugh with all their might
  Laugh and laugh the whole day through
  And half the summer's night.
  Dona dona dona dona
  Dona dona dona don
  Dona dona dona dona
  Dona dona dona don

3.Calves are easily bound and slaughtered
  Never knowing the reason why.
  But whoever treasures freedom,
  Like the swallow must learn to fly

  How the winds are laughing
  They laugh with all their might
  Laugh and laugh the whole day through
  And half the summer's night.
  Dona dona dona dona
  Dona dona dona don
  Dona dona dona dona
  Dona dona dona don
1959年(昭和34年)

 日本語の詩については【瑞雲院 法話のページ「衆生恩(しゅじょうおん)の話」(http://www.hokuriku.ne.jp/genkai/98shujo.htm)】による。

   原曲は「Dana Dana」という題名で、詩・曲ともにによりナチの時代(1940年)にユダヤ人(作曲 ショロム・セクンダ、アーロン・ゼイトリンがイーディリッシュ語(ユダヤ系ドイツ語)で作詞)によって作られ、家族がユダヤの強制収容所に送られていく悲しみが詩に込められている。日本語の訳詩は、安井かずみさんので有名である。 1964年に、ジョーン・バエズのシングル盤が日本でも発売され、フォーク・ブームの先駆けとなる。詩の中の「牛」や「燕」の意味などを含め、詳細な解説が次のサイトで提供されているので、興味のある方はご覧ありたい。
【世界の民謡童謡「クローズアップ−ドナ・ドナ」(http://www.worldfolksong.com/closeup/donadona/dona.htm)】
【世界の歌「Dana Dana / Dona Dona」(http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/DonaDona.htm)】および
【吉永小百合ホームページ「フォーク・ソング」(http://homepage3.nifty.com/fwhj5337/Sy-list/etc/folk.htm)】

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 1960年代、“フォークの女神”と呼ばれていたのがジョーン・バエズ。41年にニューヨークで生まれた彼女は、ボストン大学在学中からギターを片手に歌い始め、50年代の終わりに当時最大規模のフォーク・フェスティバルだった“ニューポート・フォーク・フェスティバル”に出演する。既にアメリカはベトナム戦争に突入しており、反戦集会の様相も呈していたこのフェスティバルに、彼女はなんと真っ赤な霊柩車で乗り付けて反戦をアピール。繊細かつ艶やかな伸びのある高音ボーカルは聴衆を虜にし、一夜にして彼女はヒロインとなった。

 デビュー当初、彼女のヒット曲は、「ドンナ・ドンナ」(ドナドナ)、「朝日のあたる家」、「風に吹かれて」など、どちらかというとトラディショナルやスタンダードが中心で、それほど過激なメッセージを歌うものではなかった。しかし60年代半ば、ベトナム戦争が深刻さを深めていくにつれて、反戦の思想を込めた「勝利を我らに」といった歌が多くなってくる。66年には反戦運動家デビッド・ハリスと結婚し、ますますその傾向が強くなっていく中、67年1月にバエズは初めての来日公演を果たす。

 当時は日本でも安保闘争で激動の時期。各地を公演して回った彼女は、「歌手であるよりもまず人間。次に平和主義者です。」と語り、「雨を汚したのは誰」や自作曲の「サイゴンの花嫁」といった反戦歌を披露。聴衆は感激に包まれた。ちなみにこのとき、森山良子が“和製ジョーン・バエズ”としてデビューしたのをご記憶の方も多いのでは? なお、このステージの模様はテレビ中継もされたが、アメリカ政府当局の圧力で、司会者がバエズのコメントを訳す際に、「この「雨を汚したのは誰」は原爆をうたった歌です」を「この公演はテレビ中継されます」に、「私は自分の払ったお金がベトナム戦争のために使われたくないので税金を払うのを拒みました」を「アメリカでは税金が高い」にと、意図的に誤訳したという話が残っている。

 ベトナム戦争終結後も、一貫して自由と平和を訴えながら活動を続けているジョーン・バエズ。最後に彼女の名言を紹介しよう。「人はどう死ぬか、いつ死ぬかを選択できない。どう生きるかこれだけは決められる。さあ、決めるのです」。
【おんがく日めくり(http://www2.yamaha.co.jp/himekuri/view.html?ymd=20010111)による】