ルビーの指輪
作詞 松本 隆 作曲 寺尾 聰 唄 寺尾 聰 |
1 くもりガラスの向こうは 風の街 問わず語りの心が 切ないね 枯れ葉一つの重さも ない命 あなたを 失ってから 背中を 丸めながら 指のリング 抜き取ったね 俺に返すつもりならば 捨ててくれ 2 そうね誕生石なら ルビーなの そんな言葉が頭に うずまくよ あれは八月まばゆい 陽の中で 誓った 愛の幻 孤独が 好きな俺さ 気にしないで 行っていいよ 気が変わらぬうちに早く 消えてくれ |
3 くもりガラスの向こうは 風の街 さめた紅茶が残った テーブルで 襟(えり)を合わせて日暮れの 人波に 紛れる あなたを見てた そして二年の月日が 流れ去り 街でベージュのコートを 見かけると 指にルビーのリングを 探すのさ あなたを 失ってから(繰り返す) |
1981年(昭和56年)
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寺尾聡(あきら)は1947年神奈川県横浜市生まれ。父親は劇団民芸の創設者の一人で、名優と称えられた宇野重吉。聡も俳優の道を志し、昭和43年(68年)に熊井啓監督の『黒部の太陽』でデビュー、昭和51年(1976)には、山田洋次監督『同胞』の主役に抜擢された。以後、黒澤明監督作品の『乱』(昭和60年)、『夢』(平成2年)、『まあだだよ』などに出演。ミュージシャンとしては、昭和39年(1964)にグループ・サウンズ「ザ・サベージ」を結成、ベースを担当し、昭和41年(1966)に『いつまでもいつまでも』『この手のひらに愛を』をヒットさせた。
ルビーの指環』は昭和56年(1981)の大ヒット曲。この年は、チャールズとダイアナが結婚し、ピンクレディが解散し、向田邦子の乗った飛行機が落ち、福井謙一がノーベル賞を受賞し、『北の国から』というTV史上に残る名作ドラマが放映された年であった。 (http://www.duarbo.jp/versoj/v-folksong/rubinoyubiwa.htmによる) |