作詞 北村 雄三 作曲 大久保 徳二郎 唄 ディック・ミネ 1.涙ぐんでる上海の 夢の四馬路の街の灯 リラの花散る今宵は 君を思い出す 何にも言わずに 別れたね君と僕 ガーデンブリッジ 誰と見る青い月 2.甘く悲しいブルースに なぜか忘れぬ面影 波よ荒れるな波止場の 月もエトランゼ 二度とは会えない 別れたらあの瞳 思いは乱れる 上海の月の下
1939年(昭和14年)
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ディック・ミネ(1908-1991)徳島県出身(本名・三根徳一=みね・とくいち)。
父は土佐高校創立者。立教大学では相撲部に所属するかたわら、ジャズバンドを結成。卒業後は逓信省貯金局に勤めながらスタジオ奏者を続けた。ダンスホールでの演奏中に淡谷のり子の目にとまり、古賀政男の推薦もあって、昭和9年に歌手デビュー。同年「ダイナ」がヒット。歌謡曲をジャズ調にアレンジした新鮮なメロディーに独特のふし回し。日本人離れした低音。長身のダンディーぶりで、特に女性ファンを魅了した。他にも「二人は若い」「人生の並木路」「旅姿三人男」「上海ブルース」などのヒットを飛ばすが、軍国調の歌を不得手としたため、戦時中は不遇をかこった。 軍国主義が日本を覆った昭和十五年には、内務省から「外国人とまぎらわしい芸名」と改名を迫られ、終戦まで「三根耕一」の名で歌った時期もあったが、戦前の歌謡界に新風を吹き込み、戦禍にすさんだ人たちの心をなごませた。 戦後も、「夜霧のブルース」のヒットを皮切りに、常に第一線で歌い続けてきた。晩年はこれといったヒット曲には恵まれなかったが、四度の結婚で話題を呼んだり、歯にきぬ着せぬ毒舌で、“歌謡界のご意見番”として活躍していた。54年には勲四等旭日小綬章を受章。しかし晩年には車椅子生活となり、死ぬまで歌手人生をまっとうした。 代表曲 昭和9年 ダイナ,昭和10年 二人は若い(星玲子), 昭和12年 人生の並木路 ,昭和14年 上海ブルース、旅姿三人男, 昭和22年 夜霧のブルース http://www.geocities.co.jp/Bookend/1100/music/kasyu1/b10.html http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/91/91o6b.htm |