君忘れじのブルース


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君忘れじのブルース

作詞 大高ひさを
作曲 長津 義司
唄  淡谷のり子
1.雨降れば雨に泣き	
    風吹けば風に泣き
  そっと夜更けの 窓を開けて
  歌う女の 心は一つ
  ああ切なくも切なくも 
  君を忘れじのブルースよ
2.面影を抱きしめて	
  狂おしの幾夜毎
  どうせ帰らぬ 人と知れど
  女心は 命も夢も
  ああ永久にとこしえに
  君を忘れじのブルースよ
1948年(昭和23年)

淡谷のり子

 戦前・戦中・戦後と激動の昭和を駆け抜けた、日本を代表する女性シンガー。29年「夜の東京」で歌手業をスタートさせる。 31年の「私此頃憂鬱よ」が好セールスを記録。そして37年、「別れのブルース」で大ブレイク、一躍時の人に。以来、 「嘆きのブルース」、48年「君忘れじのブルース」など次々にヒットを飛ばしていく。
 優しさと悲しみとやるせなさを包み込んだ ヴィブラート・ヴォイスは、すべての日本国民の心を捉えて離さなかった。ゆえに人々は彼女を“ブルースの女王”と呼んだ のだ。――ちなみに、ここで云うブルースとは、黒人音楽のソレとは異なり(影響は受けつつも)、悲しみや嘆きをテーマと したミドル・テンポでマイナー調な外国趣味の楽曲を指す。
 また戦後は、ルンバ/シャンソン/タンゴ/ジャズとさまざまな スタイルのナンバーに果敢に取り組み、日本歌謡の礎を形成していった。99年に永眠 。http://www.excite.co.jp/music/search/artists?per_cod=234212
 
「淡谷のり子の主なヒット曲」

◇淡谷のり子の主なヒット曲◇ (西暦で表記)
  年 	   曲  名		 世  相 
29年 (夜の東京) 		世界恐慌はじまる 
30年 (ラブ・パレード) 	独でナチス党躍進 
31年 (私此頃憂鬱よ) 	満州事変ぼっ発 
32年 (唄はない恋の唄) 	5・15事件起きる 
33年 (海ゆく君に) 	国際連盟を脱退 
34年 (恋の月)		 室戸台風大阪上陸 
35年 (愛のセレナーデ) 	初の映画館が開場 
36年 (涙の踊子) 		初の職業野球開始 
37年 (別れのブルース)	日中戦争はじまる
        (秋のブルース)         大本営令が公示 
38年 (人の気も知らないで)	国家総動員法公布
        (雨のブルース)         東京五輪中止
        (月の小みち)           勤労動員が始まる
39年 (東京ブルース)	学生の長髪、 
        (夜のタンゴ) 	パーマネントが禁止に 
40年 (満州ブルース) 	日独伊三国同盟 
41年 (すずかけの道) 	太平洋戦争始まる 
48年 (嘆きのブルース) 	美空ひばりデビュー 
        (君忘れじのブルース)   初のナイター 
49年 (黄昏エレジー) 	ビアホールが復活 
50年 (東京ルンバ) 	NHKが実験放送 
52年 (星降る港のブルース) 	日航機三原山墜落 
53年 (ルンバ・サファイヤ) 	街頭テレビブーム 
54年 (雨のプラットホーム) 	自衛隊が発足 
60年 (忘れられないブルース) 新安保条約が成立 
63年 (遠い日のブルース) 	三池炭鉱爆発事故 
71年 (昔一人の歌い手がいた) マクドナルド開業 
78年 (シャルメーヌ) 	キャンディーズ解散 
92年 (抱いて) 		「のぞみ」運転開始 
93年 (揺り椅子) 		皇太子ご成婚 
(http://www.nikkansports.com/jinji/1999/seikyo990926.htmlによる。)