大 和 田 橋
八王子市大和田町〜同市明神町
注1・・・先の大戦の終戦直前の8月1日に、八王子市街地が大規模な空襲に遭って多くの住民が 犠牲になりました。橋の上にも50発ほどの焼夷弾が落とされたそうですが、この大和田橋の 下に避難した住民たちは橋に守られて助かったそうです。その悲惨な戦争の記憶を留める為に 車道は改修されましたが、歩道上には焼夷弾の落ちた跡が保存されています。 注2・・・JR中央線高尾駅北東の丘陵地に造営された大正天皇の御陵で、大正天皇は大和田橋が 完成する前年に亡くなりました。一方で同じ甲州街道の橋で、大和田橋の前年に架橋された日 野橋の親柱は、ほぼ同時期に架橋されたのに変わり映えしない親柱で、この一年の違いが橋の デザインに影響を与えたのかも知れません。当時は御陵に近い場所に皇室専用の鉄道の駅が設 けられ並木も整備されるなど、付近の施設面でも様々な配慮がなされていたようです。 ちなみに、その後に貞明皇后陵が造営され、さらに近年になって昭和天皇・香淳皇后の御陵 も造営されて正式名称は武蔵陵墓地と変更されていますが、長い間親しまれた多摩御陵の呼び 名の方が一般的なようです。
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