西田杉山神社の銀杏 

町田市金森(金森西田)  




 西田杉山神社の銀杏


  西田杉山神社は小さな神社ですが

 入り口の角に銀杏の巨木が立ってい

 ます。説明によると「南北朝時代、

 対岸の大和市公所にあった高木伊勢

 守の城中より、無事長久を朝夕礼拝

 されたといわれています」とありま

 すが、この木の大きさからして時代

 が合わないように思います。(※)





 銀杏の根元


  根元のすぐ脇まで道路が迫り舗装さ

 れています。そのアスファルトを銀杏

 の根が持ち上げている箇所もあり、こ

 れでは銀杏の根が痛んでしまいます。

 落雷により上部の主幹が失われていま

 すが、それでも町田市最大の巨木なの

 ですから、早急に文化財指定して保護

 処置を講じて欲しいものです。




 ※・・・南北朝時代に境川の対岸から見渡せるほどの大木だったとなると、当時すでに

  樹齢100年以上の筈で、トータルの樹齢は800年程度となってしまいます。しか

  し同程度の都内の銀杏は、例えば芝東照宮の銀杏とか、熊野神社の大銀杏など、大体

  は江戸初期頃に植えられたと伝わっていて、この西田杉山神社の銀杏も、大きさから

  して江戸初期頃に植えられたと考える方が妥当だと思います。さらに石段の脇にある

  庚申塔の年号も江戸初期の元禄年間となっています。となると高木伊勢守という人物

  は徳川家旗本の高木氏だったのではないでしょうか。家康が天下を取る前に、秀吉の

  命により徳川が関東に移封になると、関東各地に知行地を得た徳川の旗本達は、それ

  ぞれの知行地に城を構えました。これから豊臣側との決戦が控えていたので戦の備え

  としての城だったのでしょう。しかし徳川が天下を取って戦国時代が終わると、旗本

  の城は廃されて旗本達も江戸城下に居住するようになりました。その短い期間に存在

  していた「旗本高木伊勢守の城」から礼拝された、という事なのだと思います。






 一つ上   ”東京都の巨木

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