浄 牧 院

東久留米市大門町 



 浄牧院は文安元年(1444)八王子の城主、安祝(注1)により創建され、江戸時代には

徳川家より寺領30石を拝領し、清瀬の全龍寺や東村山の梅岩寺などを末寺に持っていた名刹

です。しかし近年、参道を横切るように出来た都市計画道路により境内が分断されて、整然と

した伽藍配置は見られなくなってしまいました。


    通 用 門


 以前の総門で、元々は手前

道路向かいの飛び地まで伸び

ていた参道の入り口に建って

いました。建立は18世紀後

半頃と見られています。







     総  門


 近年再建された唐破風屋根

の門です。姿からすると中門

のようですが、それなら三門

と本堂の間に建っているはず

なので、やはり総門というべ

きなのでしょう。






     三  門


 楼門式の門で、やはり近年

再建されたばかりです。立派

な門ですが、木立に囲まれて

間近に来ないとよく見えない

のが惜しまれます。







     本  堂


 去年訪れた時はまだ工事中

でしたので、まさに落成した

ばかりの本堂です。間口10

間の堂々とした伽藍です。




注1.一般に八王子の城主といえば北条氏照なのですが、氏照は100年以上後の武将なので

  時代が合いません。それに八王子城もまだ築城されていませんでした。当時の八王子付近

  を支配していたのは市内下恩方浄福寺に居城を構えていた大石氏でした。大石氏は信州佐

  久地方出身の豪族で、功あって足利氏より八王子から秋川、村山、久留米にかけての地域

  を拝領し、後になって八王子の加住丘陵に滝山城等を埼玉県志木市に引又の城を築きまし

  た。それらの事から「八王子の城主、安祝」とは大石顕重を指すものと推測されます。





 一つ上 ”七堂伽藍の寺を訪ねて

 表 紙 ”小さな旅と四季の風景 ”へ