注1. 足利基氏は室町幕府を開いた足利尊氏の四男で鎌倉公方として東国を治めていました。 いわば東国での最高権力者で、その基氏が創建した寺院ですから、当時から立派な七堂伽 藍が立ち並んでいたのでしょう。 なお、古河公方、小弓公方を経て江戸時代まで続いた足利氏(喜連川氏)は、この基氏 から続いた血筋で、京都の足利氏は後に武家を放棄した為に、唯一の源氏の正統(徳川の 家系は真っ赤な偽物)として残りました。 注2. 一説には幕府評定所の建物を移築したとの説もあったので、江戸の役所建物が現存して いる例は希少ですし、意外な発見かも知れないと思ったのですが、調べてみると評定所は 享保2年(1717)に火事で消失し後に再建されたとの事で、長徳寺の本堂はそれ以前 に建立されている訳ですから別物のようです。 ただ、この本堂の付書院には上段の間などがあるそうで、普通の寺院建築にはない造り も見られるので、それが何処か武家屋敷の影響を感じさせるのかも知れません。
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