長 徳 寺

川口市芝 



 川口というと一昔前は鋳物の町としても知られ商工業の町というイメージですが、長徳寺の

辺りは緑も多く、丘陵を背にした静かな境内に伽藍が並んでいます。当寺は貞治3年(136

4)足利基氏(注1)により創建され、臨済宗建長寺派の名刹として江戸時代には寺領40石

を拝領していました。

 参道に続いて山門を潜ると中門、その奥に本堂と一直線に続いていますが、中門は常時閉め

られていて、横の通用門から本堂前の中庭へと進みます。本堂の左手に座禅堂、右手には庫裏

がありますが、庫裏はほぼ横一列の配置となっていて中庭を囲むようにはなっていません。し

かし、この中庭は綺麗に整備された庭園や伽藍に囲まれていて、禅宗寺院の落ち着いた佇まい

を満喫できます。

 その伽藍に関して、今までは関東大震災で多くの建物が被害を受けたという事以外には情報

が無くて(境内の説明板も建物に関しての説明は皆無です。)本章に取り上げられずにいたの

ですが、平成の大修理の際に本堂や山門などの築年が確認されて、特に本堂などは文化財級の

古い建物だという事がわかりました。


     山  門


 薬医門形式の門で、築年は

寛政6年(1794)とされ

下回りがかなり傷んでいまし

たが、平成の修理で綺麗に蘇

えりました。山門前の参道は

住宅地の中にまで伸びていて

長徳寺の格式を忍ばせます。






     中  門


 唐破風屋根の門で、木肌に

痛みが見られないので大震災

後に建てられた建物のようで

す。それでも裏側の欄間には

見事な彫刻が施されていて、

名刹の雰囲気を感じさせてく

れます。






     本  堂


 間口十間の大きな伽藍で、

平成の大修理により寛文7年

(1667)に建てられた事

が判明しました。(注2)

 大震災に耐えた建物ですが

今までは応急補強だったそう

で、東北大地震の前に大修理

を終えたのが幸いでした。






     禅  堂


 禅堂は定石通り中庭を囲む

ように建っていますが、木肌

の様子から大震災後に再建さ

れた建物のようです。しかし

伽藍の前には槙の大木が繁り

庭石も置かれて、落ち着いた

雰囲気に包まれています。


注1.

   足利基氏は室町幕府を開いた足利尊氏の四男で鎌倉公方として東国を治めていました。

  いわば東国での最高権力者で、その基氏が創建した寺院ですから、当時から立派な七堂伽

  藍が立ち並んでいたのでしょう。

   なお、古河公方、小弓公方を経て江戸時代まで続いた足利氏(喜連川氏)は、この基氏

  から続いた血筋で、京都の足利氏は後に武家を放棄した為に、唯一の源氏の正統(徳川の

  家系は真っ赤な偽物)として残りました。


注2.

   一説には幕府評定所の建物を移築したとの説もあったので、江戸の役所建物が現存して

  いる例は希少ですし、意外な発見かも知れないと思ったのですが、調べてみると評定所は

  享保2年(1717)に火事で消失し後に再建されたとの事で、長徳寺の本堂はそれ以前

  に建立されている訳ですから別物のようです。

   ただ、この本堂の付書院には上段の間などがあるそうで、普通の寺院建築にはない造り

  も見られるので、それが何処か武家屋敷の影響を感じさせるのかも知れません。





 一つ上 ”七堂伽藍の寺を訪ねて

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