阿佐ヶ谷文士村、 天沼周辺の太宰治ゆかりの地






     天沼稲荷付近


 この地に来る以前の太宰は芝白金

三光町にいて、小説を書いては井伏

の元に持ってきたそうです。そんな

経過もあってか井伏邸に近い本天沼

に引っ越してきたようです。





     荻窪教会通り


 天沼稲荷は駅から遠いので太宰の

お目付役の東京日日新聞記者飛島定

城の通勤の便の為に転居したのが駅

に近い教会通りでした。下宿は通り

の右手、旧日の丸市場の裏の路地に

あったそうです。




      光 明 院


 薬物中毒の転地療養のために杉並

から離れていたのですが、戻る前に

太宰の妻初代と井伏夫人が探してお

いたのが光明院裏の照山荘アパート

でした。しかし、太宰が気に入らず

数日で出ていったそうです。





     税務署裏付近


 そこで次に入居したのは荻窪税務

署近くの下宿屋碧雲荘でした。杉並

で四番目の住居でしたが、ここも妻

との離婚などもあって、あまり長続

きはしなかったようです。







 一つ上 ”ぶらっと杉並文学散歩

 表 紙 ”小さな旅と四季の風景 ”へ