本堂家志筑陣屋門

かすみがうら市中志筑町、志筑小学校   




 志筑陣屋は旗本八千石の本堂家の陣屋で中志筑の志筑小学校のある丘にありました。本堂家

は参勤交代の義務付けられた交代寄合の大身旗本なので、志筑陣屋は領主の居住する御殿等も

ある城のような構えだったようです。さらに陣屋があった小学校の丘も、北と東は恋瀬川沿い

の低湿地に囲まれていて、さらに南側は東の低地から谷間が切れ込んでいて現在も掘割が残る

など要害の地形で、南北朝の時代には南朝方の城が築かれていました。

 その陣屋も明治になると廃止され建物も取り壊されましたが、陣屋の門が中志筑の民家の入

り口に移築され現存しています。



    志筑陣屋門


 小学校からの道の突き当た

りに建っていますが、現在は

何の説明板もないようです。

写真の掲載は控えましたが奥

の主屋も細部に武家屋敷の様

式が見られるので、陣屋に由

来する建物かも知れません。






   冠木門のある民家


 古い町並みの残る中志筑の

街道沿いですが、上記の屋敷

門の100mほど西に立派な

冠木門が見られます。これも

民家が建てるような形式の門

ではないので、陣屋から移築

されたのかも知れません。






    志筑陣屋跡


 陣屋跡は現在志筑小学校と

なっていて、入り口には説明

板が立っています。陣屋門は

この入り口の辺りにあったそ

うで、現在の地形から考えて

も大名陣屋に匹敵する規模の

陣屋だったようです。






    陣屋下の掘割


 小学校へと上がる大手道の

坂下にあって現在も水を溜め

ています。戦乱の時代にはお

そらく大手道の東側にも堀割

があって、城の備えとなって

いたのでしょう。