設 楽 家 住 宅

佐倉市青菅、設楽家 




 佐倉市郊外にある設楽家住宅は関東でも屈指の古い住宅で、さらに戦前まで屋敷の周囲に土塁等

も残っていたそうです。設楽家は室町時代から続く旧家で房総を支配した豪族千葉氏の直臣だった

とされ、3Kmほど南東にあった千葉氏の臼井城下に、松戸本土寺の末寺妙傳寺を創建する程の力

を持っていたそうで、江戸時代なっても代々青菅村の名主を務めていました。現在の設楽家住宅は

慶安年中(1650年頃)に建て替えられたようですが、その構えから農家とは明らかに違う土豪屋敷の

様式(柱材が細い?)が見られるそうです。関東でも横浜の関家と並ぶ古民家で佐倉市の登録文化

財にはなっているのですが、これは内部を公開しなくても良い、つまり一般の見学は出来ないので

国指定の重文になれば見学が出来るようになるので(修復の補助も付きますし)ぜひ重文指定して

もらいたいと思うものです。


     設楽家住宅


 家人がお住まいなのでこれ以上

寄れないのですが、本来の構造は

主屋と土間が別棟となる分棟型住

宅との事です。これは内部は連結

されているのですが、屋根が二つ

に分かれているというもので、後

に現在のような一つ屋根に葺き直

されたようです。






    屋敷前面の土塁


 設楽家屋敷は東を向いて建って

いて、前面となる東側には今でも

土塁が残されています。塁上の立

ち木の根上がり具合から、以前は

もっと高く盛られていたようで、

通常は外側に堀もあった筈なので

手前の道路はその跡のようです。






    屋敷北側の低地


 青菅村は北に張り出した舌状台

地上にあり、設楽家屋敷は名主に

も拘わらず村の北端の地に位置し

ていてます。しかし、土豪屋敷と

してこの場所を考えると、台地の

端になるので城としての地の利が

あるように思います。