城と城址について補足説明

紹介の章では説明しきれなかった事項の補足です  




戦国時代の小田原城について

 後北条氏が築いた小田原城は、戦国時代の城の中では唯一の特殊な城でした。それは城下町を

そっくり包み込むように築かれた、総郭と呼ばれた大規模な城だったからです。このような城は

大陸では城壁都市と呼ばれ、中国やヨーロッパなどの城ではよく見られます。北京城や南京城、

16世紀のパリやモスクワなど中世からの古い都市は城壁都市でした。またスペインのトレビに

は、今でも町の中に城壁が残っているそうです。これは大陸での戦は都市国家と言うこともあり

ますが、異民族同士の戦いも多く、戦争になれば兵士も領民も見境無く襲われるからです。日本

では城さえ落ちれば、それ以上の領民への攻撃は無く、小田原城のような城は他には有りません

でした。しかし小田原城を目の当たりにした秀吉や家康は、その後の城造りに総郭の方法を取り

入れていきました。秀吉は京都を囲む御土居と呼ばれた土塁を築き、家康は江戸の町を囲む長い

外堀を築きました。



土塁の防御力


 関東以外の方々が、特に石垣の城を見慣れた西日本の方々が、このホームページの石神井城址

や岩槻城址の写真を見たら、こんな土塁や空堀ならばいとも簡単に乗り越えられると思うことで

しょう。確かに長い年月の間に多少なだらかになっていますが、いざという時にこの斜面を登る

のは、実は大変なことなのです。それは南関東一円の地表が関東ローム層(赤土)と呼ばれる粘

土層に覆われているからです。当然土塁や空堀もこの赤土で出来ているのですが、ちょうど陶芸

に使う滑らかな粘土のように、水に濡れるとヌルヌルとして非常に滑りやすくなるのです。私が

子供の頃に、近所の野山を駆け回っては赤土の斜面で転び、泥だらけになったものです。ひとた

び雨が降れば、おそらく30度くらいの斜面でも足を取られてしまうでしょう。




地名その他から推測する古城址


 かつて城があったことを推測させる地名には、城、城山、館、屋敷、掘、堀之内、塁、土居、

柵、櫓、矢倉、根小屋、名古屋、要害、馬場、大手などがありますが、むろんこのような地名が

付いていても、城とは関係ない場合もあります。また当て字(違う漢字)になっている所もある

でしょう。(根小屋というのは戦国期に多く見られた城で、有事には山の上の砦に籠もり、平時

は麓の居館で生活する城で、その麓の居館をさす言葉)だいたい上記のような地名の場所に古城

址がある確率は高いようで、城に関する書籍には、東京杉並の古城址の中で地名以外に手がかり

の無い所でも、いくつか紹介されていました。

 また関東では、矢竹という矢に使われる篠竹が生えている場所は、その昔侍達が居住していた

場所だという説もあります。私は釣りも好きなので、釣り竿の補修用に矢竹の生えている場所を

探したことがあるのですが、不思議と古城址のある地域と重なるのです。重要な武器で消耗品で

もある弓矢は、自分たちの身近で調達していたのかも知れません。






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