大笹関所門

吾妻郡嬬恋村大笹、大笹関所跡 




 江戸時代、中山道高崎宿から烏川沿いに遡って吾妻郡に入り、浅間山北麓を通って鳥居峠を越

えて、須坂方面または上田方面に通じる街道を信州街道と言いました。信州街道は関東と北信濃

を結ぶ重要な道筋で、各所に関所が設けられました。大笹関所はその一つで、当初は沼田藩真田

家が受け持ちましたが改易後は幕府が直接運営しました。関所は大笹宿の西端にあって鹿之龍川

に掛かる橋の袂に置かれたのですが、この川は深い谷を刻んで流れているので、橋以外の場所で

の渡河は困難と思われます。ちなみに現在は新旧二つの橋が掛かっていて、道が分岐する場所に

面して大笹関所門が移築保存されています。



     大笹関所門


 明治になって関所が廃された

時、土屋源三郎氏の先祖(どの

ような方なのか説明が欲しい)

が払い下げを受け所蔵復元して

いたものを、御関所橋架け替え

に伴い街道に面した当地に移転

再現したそうです。







    後方から見た門


 形式としては関所門に多い高

麗門形式で、碓氷関所と同様に

門扉は格子戸になっています。

一方、腐朽対策の為でしょうが

真っ黒に塗られていて、何処ま

でが現存なのか柱材の古さ等が

判りません。補修の具合なども

知りたい所ですが。






    大笹関所門図


 宿場に面した東門と橋に面し

た北門があり、その橋の先が信

濃との境となる鳥居峠ですが、

この図の上側には本流の吾妻川

が流れていて、とにかく、この

橋(注)を渡らないと先へは行

けないという、絶妙な位置に関

所が置かれたようです。



 注・・図には「刎橋」と書かれていて、有事の際に跳ね上がる橋だったのかも知れません。

    ただ現在の川幅は20mくらいはあり、図でも12間と書かれているので、これを跳ね

    上げるのは無理そうです。どういう謂れの橋なのか興味があるところです。