忍 城 址

行田市本丸、行田市郷土博物館他 




  少し前までの忍城址は、南の外堀だった大沼周辺が水城公園として整備されていましたが、

 本丸跡はグランドになっていました。その本丸の跡に、昭和六十三年に御三階櫓、城門城壁等

 が、復元されました。もとの御三階櫓(注1)は、水城公園寄りの三の丸にあったのですが、

 場所は変わっても姿かたちは旧態に似せて再建されています。表紙のページの壁紙は、その絵

 図面を参考に描きました。郭の中には行田市郷土博物館が建っていますが、例えば本丸御殿に

 似せるとか、城址の姿を損なわない建物にしてほしかったものです。いずれにしても、忍城の

 本丸に櫓は無かったようなので、本丸跡に三の丸(注2)の景観を再現したのでしょう。忍城

 の郭の遺構をそのまま残すのは、県道を挟んで 隣接する諏訪郭跡で、諏訪神社の北側に境内

 を囲むように土塁と堀が残されています。しかし僅かに残されたこの遺構も、水堀(注3)の

 かなりの部分が埋め立てられてしまって、その保存状況は今や風前の灯火となっています。ま

 た建物では本丸に高麗門が、加須市不動ヶ岡の総願寺には北谷門が、小見の真観寺には仏間が

 それぞれ移築され現存しています。



本丸跡に復元された

  御三階櫓と城壁

 橋を渡った奥は

   博物館になっている




注1・・・御三階櫓は忍城で一番高い櫓なのですが、天守閣が焼け落ちた江戸城に遠慮をして、

     (遠慮させられた?)関東の他の多くの城のように、この櫓を天守閣とは呼ばなかった

     のです。関東で天守閣があったのは、小田原、沼田、笠間の3城だけでした。忍城址の

     復元では、千葉の大多喜城址を始めとする他の模擬天守ように、安易に天守閣などと呼

     ばないことにも好感が持てます。ただし三階櫓にしては一回り大きくて、下から見上げ

     ると石垣の高さもあって見違えるほど立派です。





   江戸城富士見櫓


 御三階櫓の元になったと云わ

れている江戸城の富士見櫓で、

写真では判りづらいですが、近

くで見ると忍城の三階櫓よりは

一回り位小さな櫓です。






     忍城の城門


 忍城の北谷門は総願寺の黒門

として移築保存されています。

 門自体が建てられたのは天保

13年(1842)頃とされて

います。







     真観寺本堂


 行田市小見にある真観寺の本

堂は、忍城の仏間を移築したと

云われています。お堂の正面入

り口は、通常は軒を伸ばしただ

けの物が多いのですが、この本

堂は屋根付き玄関形式になって

いて、城郭建築の雰囲気を伝え

ています。




忍城の鐘楼

  諏訪郭に唯一

    残されていました




注2・・・三の丸跡には現在でも櫓台跡が残されていますが、ここに御三階櫓を復元したら鉄

     筋コンクリートの基礎工事により櫓台の遺構は破壊されてしまいます。場所を移して

     復元したことは遺構保存の面からも意味のある事だと思います。景観としては大沼の

     ほとりに御三階櫓がそびえていたら申し分ないのですが・・・




水城公園の池から

  三の丸方向を望む

 この池は大沼と呼ばれた

   忍城の外堀でした








諏訪曲輪北側に

  僅かに残された堀

 土塁は右手の茂みに

   覆われている




注3・・・戦国時代に北条方だった忍城は、豊臣秀吉の小田原攻めの時に、石田三成等の数万の

     軍勢に包囲されましたが、周囲の広大な沼沢に守られて落城しませんでした。それ以来

     「浮き城」と呼ばれていた忍城には、この守りの要だった水堀に囲まれた姿が、もっと

     も相応しいと思うのです。







 一つ上 ” 関東の城を巡って 

 表 紙 ”小さな旅と四季の風景 ”へ