長 島 高 城 址

江戸川区東葛西、香取神社、清光寺他 




 江戸川河口近くの東葛西一丁目と二丁目にかけての半径200米程の範囲に、古い寺社が10

軒以上集まっている地域があって、この地にはかつて長島高城と呼ばれた豪族の館があったと伝

えられています。江戸時代の葛西記という書物には「此所は昔、長島殿と申す城主の城下の湊の

よし」と書かれ、小田原北條氏の小田原衆所領役帳にも長島高城の名が(注1)あるそうです。

現在の付近の様子はこれといった地形変化も無く、城址の面影などを残すものは何も無いのです

が、寺社の点在する落ち着いた街並で、かつて大部分が海だった江戸川区南部(注2)にあって

この地域だけは当初より陸地で古くから開けていた事を覗わせます。



     長島之碑


 香取神社の境内にあって、旧

町名の長島町の由来や当地に館

があったと伝えられている事が

記されています。この碑のある

地は、東側の清光寺と共にこの

地域の中心にあたり、城館もこ

こから清光寺境内にかけての地

にあったと思われます。





      清 光 寺


 清光寺の周囲にはかつて境内

を囲むように城を連想させる地

名があって、表門、裏門、馬場

等の小字が残されていました。

清光寺の辺りは堂屋敷と呼ばれ

長島城の本丸があったのではな

いかと想像されます。






    長島の船着場跡


 この道はかつての東長島川で

今は全て埋め立てられて面影も

ありませんが、当時はこの辺り

に長島の船着き場があって、行

き交う船で賑わっていたそうで

す。江戸時代になると少し北側

に新川が掘られたので、賑わい

も移ってしまったそうです。






      江 戸 川


 城址の脇を流れる江戸川は、

かつての渡良瀬川で、昔は太日

川と呼ばれていました。右手の

護岸は中州の妙見島で、かつて

の長島も河口のデルタに出来た

中州の島で、城の周囲は大部分

が海だったと思われます。


注1・・・・ この城の名称は日本城郭大系に従ったのですが、長島の高い城なのか、長島高と

      いう名の城なのか、あるいは長島にある高城氏の城なのか、はたまた長島・高城と

      いう地にある館という事なのか、どうにもはっきりしません。ちなみに当時この地

      を領していたのは岩淵砦(稲付城)を居城としていた太田新六郎ですが、この地に

      何らかの城館があったのは確かなようで、太田氏配下の武将がこの地を支配する為

      の城だったと思われます。

注2・・・・ かつて江東区や江戸川区南部はほとんどが海で、陸地は中州や自然堤防上に出来

      た微高地のみでした。江東区の亀戸という地名も亀戸香取神社の地が亀の甲羅のよ

      うに盛り上がった島だった事から名付けられたそうで、昔はこの辺りが海だった事

      を物語っています。また「戸」は江戸もそうなのですが、かつて津(湊)があった

      事に由来すると云われています。そして長島にも湊があったとされていて、渡良瀬

      川沿岸地域と他地域との中継港として賑わったものと思われます。こうして富が集

      まればそれを庇護する豪族が要る訳で、品川湊や江戸湊に城が在ったように長島湊

      にも長島高城があって、富をねらう外敵に睨みを効かせていたのでしょう。



    アクセスガイド


  長島高城址・・・地下鉄東西線 葛西駅より東北に徒歩約800m(香取神社)






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