松 尾 城 々 門

山武市松尾大堤、押尾家   




 明治維新により400万石にも及んだ徳川家の領地は新政府に没収され、徳川家は100万

石の一大名として駿河の地に配置換えとなり、それまで駿河の地にあった大名は、各地に移転

となりました。松尾城の太田家も以前は掛川城の地を領していたのですが、明治2年この地に

移って松尾城を築きました。ただ明治4年には廃藩置県で全国のほとんどの城と同様に廃城と

なったので、折角築いた城でしたが、たった2年だけの城だったようです。それでも藩主館の

城門が、城下の民家に移築されて残されています。




    松尾城々門


 明治維新後に建てられた門

ではありますが、二階建造り

の立派な長屋門で、松尾藩五

万石の格式を感じさせます。







     松尾城址


 松尾城は五稜郭に似た稜堡

式の縄張りを持つ城で、跡地

は自動車学校、山林、その他

となっています。僅かに残さ

れた土塁の上から見た現在の

城址です。