真 壁 城 々 門

桜川市本木、雨引観音楽法寺 




 坂東33観音霊場の第24番札所である楽法寺(雨引観音)の黒門は、ここから6kmほど南に

あった真壁城の城門を移築したものと伝えられています。

 真壁城は平安時代の末に真壁氏により築かれた城で、真壁氏は戦国時代まで約400年に渡って

この城の主でしたが、佐竹氏に属していた為に江戸時代の初めに佐竹氏が秋田に領地換えになると

これに従って秋田角館に移りました。その後は浅野氏や稲葉氏が入りましたが、いずれも短期間で

配置換えになり、真壁城は真壁氏が去った後30年を待たずに廃城となりました。

 現在の真壁城址は本丸跡に体育館等の箱物が建てられるなど城址の景観を無くしていたのですが

数年前に真壁城跡として国の史跡に指定されたのを機に、田畑等になっていた郭跡の土塁や水堀の

復元工事が行われていて、城跡らしい景観を取り戻しつつあります。しかし肝心の本丸には、他の

城址と同様に無粋な箱物が幅を利かせているので、これを撤去しなければ、せっかくの復元工事も

中途半端なもので終わってしまうでしょう。


     楽法寺黒門


 真壁城は江戸時代の始めに廃城

となったのですが、この門は関が

原の後、真壁氏が秋田へ移るとき

に移築されたそうで、実用一辺倒

だった戦国時代の城門から、威容

を誇る門へと移行していった関東

では数少ない桃山期の現存城郭建

築となるようです。






   真壁城本丸跡の石碑


 本丸跡の北東隅には小さな稲荷

社があって、城の鬼門除けとして

奉られていたようです。稲荷社の

後ろは三方とも急な崖で、その下

は堀となっていて、本丸跡でもこ

の場所だけは城址の遺構が当時の

まま残されています。






    本丸東側の郭跡


 手前から二の郭三の郭となって

いて、それらを廻る土塁や堀等が

復元されています。大分整備され

ていますが、それより本丸の箱物

を何とかして欲しいものです。