佐倉藩木戸陣屋門

山武郡横芝光町木戸、最上家他 




 幕末になってペリーが黒船で来航した事は知られていますが、それ以前から欧米各国の蒸気船が

日本近海に姿を見せ始めていて、幕府は沿岸警備の必要性に迫られていました。そこで幕府の命を

受けた佐倉藩は九十九里浜に面した木戸の地に海防陣屋を築きました。この陣屋は明治になっての

廃藩置県により廃止になったので、存続期間は短かったのですが本格的な陣屋だったようで、裏門

などが近くの旧家に移築され残されています。また土塁なども築かれていたと思うのですが、現在

の陣屋跡は宅地や民家に隣接した雑木林などの私有地で、あまり探索出来ませんでした。ただ周囲

には一段低い田が広がっていて、一部ですが陣屋跡の微高地の形状が覗えます。


     最上家表門


 木戸陣屋の裏門だった門で、人

目に付かない細道を進むといきな

り現れるのですが、あまり知られ

ていないのが勿体ないと思うほど

立派な門です。この最上家は医者

の家系だそうで地域の名家なので

この門が移築されたようです。






    もう一つの陣屋門


 尾形地域の民家に移築されてい

るのですが、海岸と並行して走る

街道に面して建っているので堂々

とした姿が目につきます。門の横

には立派な蔵もあり、こちらもか

なりの旧家のようです。







    木戸陣屋跡


 木戸陣屋は海岸近くに築かれた

のですが、すぐ横を栗山川に接し

た微高地になっていたようで、遠

見の小山もあったそうです。

 現在も周囲には田などの低湿地

が見られますが、跡地は宅地等の

微高地になっています。