佐倉城下旧河原家住宅 

千葉県佐倉市宮小路 




 佐倉藩の武家屋敷は、安中の武家屋敷と同様、城址に続く台地の上に家臣の屋敷が残されてい

ます。ただ佐倉城へと続く台地中央部の通り沿いは町屋地区となっていて、佐倉藩士達の屋敷は

台地の際の方に配置されています。佐倉城は、他章でも紹介しているように印旛沼に続く湿地帯

と深い空堀で守られ、城へと続く台地の尾根筋だけが、城への唯一の進入ルートなので、いざと

いう時には、この尾根の斜面を登ってくる敵に対処出来るような配置となっていたようです。




    武家屋敷通り


 現在でも武家屋敷が残ってい

るのは、中尾余町とこの鏑木小

路(現宮小路町)だけで、鏑木

小路には3軒の武家屋敷が残さ

れています。

 屋敷が土塁に囲まれ通りより

一段高くなっているのも、武家

屋敷の特徴との事です。





    旧河原家住宅


 佐倉藩家臣の屋敷は、家禄に

より規模や様式が制限されてい

ました。河原家は家禄300石

の上級武士で、鏑木小路に並ぶ

3軒の中では規模が大きくて、

移築される以前は(50m程東

にあった)敷地も広かったので

すが、今は建物の規模に比べる

と庭も狭くなっています。