勝 山 陣 屋 跡

千葉県南房総市勝山 




 若狭の小浜藩酒井家の二代目は忠直が継いでいました。しかし忠直には兄の忠朝がいました

が、何か事情があったようで小浜藩を継ぐ事なく飛び領のあった勝山に屋敷を建てて(不始末

等で謹慎?)この地で生涯を終えました。それに前後して、忠直は兄の忠朝の子(甥)忠国に

勝山領一万石を分知したので、この酒井忠国を初代として勝山藩が立藩されました。

 勝山藩は後に一万五千石に加増となったのですが、二代目の忠胤の代に弟の忠成に三千石を

分知しました。その三千石の旗本酒井家の陣屋も近くの八幡山東麓の地に構えられ、こちらの

旗本の勝山陣屋は下佐久間陣屋とも呼ばれています。

 一方で大名家の勝山陣屋は、戦国時代の山城があった八幡山の北麓にある浅い谷戸に北向き

に構えられ、現在は陣屋時代の井戸と伝わる古い井戸と、谷戸の奥に搦め手口として通したと

思われる隧道が残されています。さらに直接には陣屋門ではないのですが、上記の初代忠国の

父の忠朝屋敷の門が、岩井駅近くにある福聚院の山門として移築現存しています。



    陣屋跡の町並み


 陣屋跡は谷戸の奥へと続く緩い

上り斜面になっていて、街中には

古い石垣が残されています。数軒

の家を跨いで築かれているので、

町屋が建つ前からあったようです

が、詳細は不明です。ただ段差の

地形は陣屋の名残と思われます。






     陣屋の井戸


 上記の石垣の路地を曲がると道

の真ん中に古い井戸が残されてい

ます。この井戸は勝山陣屋の井戸

だったと伝わっていますが、良質

な水が得られる事も城が成立する

重要な条件だったのでしょう。





     搦め手の隧道


 陣屋跡の町並は奥へと緩い上り

坂になっていて、谷戸の一番奥に

は隧道が掘られています。昭和に

なってコンクリート補強されまし

たが、内宿隧道と名付けられた隧

道を通って尾根の反対側に抜ける

と海岸(現在は漁港)に出ます。






     酒井屋敷門


 南房総市の市部にある福聚院の

山門は、上記の通り勝山藩祖忠国

の父であった酒井忠朝の屋敷の門

でした。忠朝はこの近くに屋敷を

構えて居住していましたが、その

忠朝の死後に酒井家より屋敷の門

が寄進されました。






     旗本陣屋跡


 勝山陣屋の南200mの至近距

離に旗本酒井家の勝山陣屋があり

ました。やはり八幡山を背にした

浅い谷戸に東向きに築かれ、大名

陣屋の勝山陣屋とは尾根を挟んで

背中合わせの場所になります。そ

の跡地に最誓寺が建っています。






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