笠 間 城 址

茨城県笠間市笠間、笠間県立自然公園内 




 笠間城は、関東で明治維新まで続いた城としては稀な山城で、標高200m程の佐白山の山上に

築かれました。当初は鎌倉時代の末に笠間氏により築かれ、安土桃山の頃は忠臣蔵で知られる

浅野家が城主となり麓には大石内蔵助の館もあったそうです。江戸時代になると浅野家は播州

赤穂に国替えとなり笠間城は徳川譜代の大名の居城となったのですが、太平の世に急峻な山城

では不便だったようで麓の高台に城主館が構えられました。それでも山頂の笠間城は廃城とは

ならず、引き続き城として維持され明治になるまで櫓や白塀等が残されていたそうです。

 現在の城跡は曲輪跡や石垣などが残され自然公園として遊歩道なども整備されていましたが

東日本地震による石垣の崩落などもあって山頂部の殿主曲輪などは立ち入り禁止になってしま

いました。重機の入れない山頂部なので困難な手作業での修復になるとは思いますが、地震か

ら何年も経っているのに、今まで放ったらかしというのは残念な気がします。同じように地震

で石垣が崩れた熊本城が大々的に修復されているだけに、崩れたまま放置され雑草に覆われよ

うとしている笠間城の姿は寂しい限りです。

 一方、建物では本丸曲輪にあった八幡台櫓が城下の真浄寺に、また裏門と伝わる城門が市内

の民家に、それぞれ移築され現存しています。


    本丸曲輪跡


 山頂部に近い割には広い曲輪

で、正面の土塁の上には二層櫓

が建っていました。ここまでは

遊歩道も整備され、管理用の作

業車も入っているらしく、時々

整備されているようでした。






     殿主曲輪跡


 本丸曲輪から土橋を渡って石

段を登ると、途中に平場は少な

く、峰全体が大きな櫓台のよう

になっています。途中の石垣や

石段などは所々崩れているので

すが、危険を示すテープがある

だけで未だに修復はされないよ

うです。





    頂上部の佐志能神社


 頂上部には殿主櫓があったの

ですが、今は佐志能神社が鎮座

しています。この社殿は殿主櫓

の柱材を使って建てられたそう

で、柱の途中には流用を思わせ

るホゾの跡などが見られます。







    城主下屋敷跡


 市街地に近い高台にあって、

現在は公園になっています。唯

一の名残は復元された鐘楼櫓で

すが、大分デフォルメされてい

るように思います。江戸時代は

この屋敷が実質的な城の中枢に

なっていたのでしょう。






   移築された八幡台櫓


 城下の真浄寺に移築され七面

堂として残されていて、茨木県

下では唯一現存する櫓となって

います。正面から見るとお堂の

開口部が目立つので、背後から

撮ってみました。このアングル

からだと城郭櫓らしい姿です。





   移築された笠間城裏門


 薬医門形式の門で城下の民家

に移築保存されています。裏門

との事ですが城主格の城だった

笠間城の城門としては小規模な

気がします。麓にあった藩主下

屋敷の裏門かも知れません。






 一つ上 ” 関東の城を巡って 

 表 紙 ”小さな旅と四季の風景 ”へ