勝海舟邸長屋門
練馬区石神井台、三宝寺
三宝寺山門の東側にある通用門は、もとは勝海舟邸の表門で築年は文政年間(1818-29)と
伝えられています。ただ、武家屋敷の門にしては武者窓が不自然に大きいのですが、これは大正
13年から昭和18年まで、成増駅の南西(現在の練馬区旭町の辺り)に兎月園という遊園地が
あって、その表門として利用されていた時に改造されてしまったようです。この遊園地はボート
池や茶店などがあって賑わっていたそうですが、戦後になっても再開される事はなく、この表門
も昭和35年に当地に移築されました。
勝海舟が生まれたのは文政6年(1823)で門の築年とも近いのですが、その頃の勝家は本所の
貧乏御家人で、こんな立派な門などはある筈がありません。しかし海舟が成人してからは、海軍
奉行等を経て幕末維新の頃には大名格で幕閣の中枢に上りつめていましたし、さらに明治になる
と、維新の功労で従二位の伯爵に叙せられ元大名と同列の華族になっていますから、明治5年か
らの勝海舟邸(現在の赤坂6−6)は大名屋敷と変わらぬ門構えだったと推測され、その屋敷に
元からあった建物かも知れません。
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三宝寺長屋門
三宝寺は北側の丘陵上にあ
る石神井城址を築いた豊島氏
ゆかりの名刹で、石神井城落
城後、大田道潅により現在地
に移されました。
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