岩 槻 城 址
さいたま市岩槻区大田、岩槻公園内
この城址は、一部分が岩槻公園として残っているだけで、本丸跡は市街地化してますが、公
園内の郭は土塁や空堀が整備されて残っています。また城下に現存していた大手門、裏門が、
公園内に移築保存されています。江戸時代の岩槻城は、土浦城などのように沼沢の中に浮かぶ
城でした。さらに関東の他の平野部の城と同様に、石垣がほとんど使われなかった為に、現在
の城址を見ても、昔の姿を思い浮かべるのは難しいと思いますが、周囲の低地が全て水をたた
えていたと思って見ると、郭の様子がわかるのではないでしょうか。
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岩槻公園内に
移築された
長屋門形式の
大手門 (注)
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大手門から
少し離れて
立つ裏門
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時 の 鐘
この鐘楼は嘉永六年
(1853)に建てられたも
ので、岩槻城址に残る
建物の中でも唯一当時
と同じ場所に建ってい
ます。
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岩槻公園の池
対岸の小山は
鍛冶郭跡
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鍛冶郭と新郭を
隔てる空堀
一部補修された
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注・・・
小大名陣屋の大手門ならこのような長屋門形式ですが、岩槻城は城主格の本格的な城でし
たから大手門は櫓門形式か楼門形式だった筈です。という事で、この門は大手門ではなく他
の場所の門だったと思われます。また同市南区にも岩槻城の城門だった伝わる細渕家長屋門
があります。このどちらも長屋門形式ですが「さいたま市文化財時報 第51号」に、この門
についての図入りの考察が載っていて、それによると「三の丸屋形」と呼ばれた藩主居宅の
表門だった可能性が高いそうです。
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