千人同心深沢家蔵 

あきる野市深沢、深沢家屋敷跡 




 五日市駅から山一つ隔てた谷の奥にある深沢家の蔵は、五日市憲法の草案が発見された蔵として

知られ、その蔵と屋敷跡は都等の史跡に指定されています。さらに深沢家は八王子千人同心として

武家の格式を持つ屋敷を構えていました。ただ蔵は、本来は商家や豪農屋敷に見られる建物で下級

武士の屋敷には無いものなので、蔵だけでは武家屋敷遺構とは言い難いのですが、この深沢家屋敷

は、石垣で築かれた屋敷地が山を背にして立地し、さらに手前には堀川を配するなど中世土豪館の

ような屋敷構えを見せています。そのような屋敷跡に唯一残る建物なので、本章でも取上げる事と

しました。


     深沢家門


 屋敷の入り口には薬医門形式の

立派な門が建っていたのですが、

残念ながら後世の再建になる建物

との事です。それでも当初からこ

のような門があって、深沢村の名

主であり八王子千人同心であった

深沢家の格式を表わしていたので

しょう。






     深沢家蔵


 門の横から屋敷跡に登って来る

と広場になっていて、白い蔵だけ

がポツンと建っています。この蔵

の中から、多摩の自由民権運動を

象徴する五日市憲法草案が発見さ

れました。一方、母屋は大正時代

に小金井に移築されてしまったよ

うで今は残っていないようです。






     屋敷跡の石垣


 構え堀のような堀川を隔てて見

る屋敷跡は、まるで城跡のような

石垣で築かれています。奥の高台

には深沢家の墓があって、そこも

整然とした石垣で築かれていて、

中世土豪館の屋敷構えを彷彿とさ

せます。これで母屋が残っていた

ら土豪の城館そのものです。