阿久沢家住宅

前橋市柏倉、阿久沢家   




 赤城山南麓の地域は、戦国時代には越後の上杉と甲斐の武田と相模の北条との境界線付近に

あって度々戦が行われました。そこでこの付近の小豪族や地侍達は連携して城館や砦を築いて

数々の戦に備えていたようです。この阿久沢家住宅も地侍屋敷の名残を残す地域で最も古い住

宅で、屋敷の前面は見通しが効く一段下った田畑で、背後は小さな段丘になっています。その

さらに背後には、地続きの丘を区切るような空堀の跡が見られます。また少し離れて左右に川

も流れていて(注)小規模ながら土豪の城館としての地の利が覗える屋敷になっています。



    阿久沢家住宅


 建築年代は17世紀と見られる

群馬県でも屈指の古民家で、国の

重要文化財に指定されています。

 ただ訪問した時はあいにく修復

工事中だったので、内部の見学は

出来ませんでした。





     住宅の裏側


 この住宅は開口部が少ないので

すが、裏側となる北面は土間への

出入り口があるだけで、窓のよう

なものは一切ありません。普通の

農家の造りとは違っていて、この

ような閉鎖的な造りが地侍屋敷の

特徴なのかも知れません。







     背後の段丘


 屋敷地の側面と背後は一段高く

なった高台で、住宅を囲むように

雑木林や杉林になっています。な

ので背後の段上から見ると、屋敷

地は傾斜地の途中の窪地になって

いるようにも見えます。







    杉林背後の空掘跡


 この地域は北に向かって高くな

る傾斜地なので、杉林の更に背後

も一段高くなっていますが、杉林

との間には、地続きの丘を遮断す

るような空堀跡と思われる地形が

見られます。







    屋敷地前面の様子


 屋敷地の前面は田畑になってい

いますが、阿久沢家前の田畑は撮

り損ねたので、この写真は近くの

堀之内地区の田畑です。いずれに

しても、家敷地の南側は平野に続

く低地になるので、一段と見通し

が効くようになっています。



注・・・赤城山南麓の地は、北は険しい山塊で南は平野に向かって下がって行く裾野の傾斜地で

 付近の川はどの川も南北方向に並行して流れています。さらに傾斜地の川は細流でも小さな谷

 を刻んで流れていて、また同族の守る館や砦が連携するように点在しているので、外部から来

 た兵にとっては、この地域の横移動は簡単ではなかったように思います。つまり各屋敷の前面

 となる南側だけを警戒していれば、いち早く異変を察知出来たのだと思います。